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和歌山地方裁判所 昭和51年(わ)229号 判決

本店所在地

和歌山市有家八〇番地の一

株式会社書道研究社

右代表者代表取締役

森川登

本籍

和歌山市有家八〇番地の一

住居

右同所

書家

天石弘

大正二年七月二日生

右株式会社書道研究社及び天石弘に対する法人税法違反並びに右天石弘に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官狩谷武嗣出席の上審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人株式会社書道研究社を罰金一〇〇〇万円に、被告人天石弘を懲役六月及び罰金六〇〇万円に処する。

被告人天石弘が右罰金を完納することができないときは、金一〇万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

被告人天石弘に対し、この裁判確定の日から一年間右懲役刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、その二分の一ずつを被告人株式会社書道研究社及び被告人天石弘の各負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人株式会社書道研究社(以下、被告人会社という。)は、和歌山市有家八〇番地の一に本店を置いて、書道に関する教育図書の出版、研修及び発表会の開催等の業務を営んでいたものであり、被告人天石弘は、被告人会社の実質上の経営者として被告人会社の代表者(本件犯行にかかる事業年度当時の代表者は被告人天石弘の長女貴志多美子)に代り被告人会社の経営全般を統轄処理していたものであるが、被告人天石弘は、被告人会社の業務に関し法人税を免れようと企て、

一、被告人会社の昭和四八年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度の法人税について、実際は被告人会社の同事業年度の所得が五〇七九万五〇八一円(別表一)で、これに対する法人税額が一八二二万一四〇〇円(別表三の一)であったのに、売上げの一部を除外すると共に架空経費を計上する等の方法により右所得の一部を除外し、これを仮名で預金する等して秘匿した上で、昭和四九年二月二八日、和歌山市湊通り丁北一丁目一番地所在の和歌山税務署において、同税務署長に対し、被告人会社の同事業年度の所得が六六一万一六一三円で、これに対する法人税額が一九八万三八〇〇円である旨記載した虚偽の内容の法人税確定申告書を提出して、不正の行為により被告人会社の法人税一六二三万七六〇〇円を免れ、

二、被告人会社の昭和四九年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度の法人税について、実際は被告人会社の同事業年度の所得が八二九九万四〇九五円(別表二)で、これに対する法人税額が三二〇六万七〇〇〇円(別表三の二)であったのに、右第一の一に記載と同様の方法により右所得の一部を除外して秘匿した上で、昭和五〇年二月二八日、同税務署において、同税務署長に対し、被告人会社の同事業年度の所得が一二三九万〇五八六円で、これに対する法人税額が三八二万五四〇〇円である旨記載した虚偽の内容の法人税確定申告書を提出して、不正の行為により被告人会社の法人税二八二四万一六〇〇円を免れ、

第二  被告人天石弘は、当時、奈良教育大学教授の職に就いていたかたわら、前記のとおり被告人会社の経営にもたずさわると共に、書家として書道塾の経営、揮毫、著作等の個人事業をも営んでいたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、

一、昭和四八年分の所得税について、実際は同年中の所得が二七七九万〇六六六円(別表四の一及び二)で、これに対する所得税額が一〇〇六万七四〇〇円(別表六)であったのに、前記個人事業による所得の大部分及びその他所得の一部を除外し、これを仮名で預金や貸付信託にする等して秘匿した上で、昭和四九年三月一四日、同税務署において、同税務署長に対し、昭和四八年中の所得が八八九万一三八一円で、これに対する所得税額が一一五万二九〇〇円である旨記載した虚偽の内容の所得税確定申告書を提出して、不正の行為により所得税八九一万四五〇〇円を免れ、

二、昭和四九年分の所得税について、実際は同年中の所得が四五四七万七六一二円(証拠上は別表五の一及び二のとおりで四六四七万四六六〇円となるが、訴因の限度にとどめた。)で、これに対する所得税額が一九四一万〇四〇〇円(証拠上は別表六のとおりで二〇四七万四一〇〇円となるが、右所得額と同様に訴因の限度にとどめた。)であったのに、右第二の一に記載と同様の方法により右所得の大半を秘匿した上で、昭和五〇年三月一四日、同税務署において、同税務署長に対し、昭和四九年中の所得が九一九万四三六四円で、これに対する所得税額が九七万五九〇〇円である旨記載した虚偽の内容の所得税確定申告書を提出して、所得税一八四三万四五〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

判示全事実につき

一、被告人天石弘の当公判廷における供述

一、被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年六月一一日付、同月一七日付及び同月一八日付各供述調書

一、被告人天石弘に対する大蔵事務官の昭和五〇年九月一八日付、同月二六日付、同年一〇月六日付、同年一一月一八日付、同年一二月一五日付及び同月二三日付各質問てん末書

一、証人白鞘弘の当公判廷における供述

一、第四回公判調書中の証人高橋千恵子の供述部分

一、津田武次に対する大蔵事務官の質問てん末書二通

一、天石政子に対する大蔵事務官の質問てん末書二通

一、貴志多美子に対する大蔵事務官の質問てん末書

一、貴志多美子の検察官に対する供述調書

一、炭山南木に対する大蔵事務官の昭和五一年一月二七日付及び同年五月二〇日付各質問てん末書

一、炭山南木の検察官に対する供述調書

一、大蔵事務官作成の査察官調査書三通(記録第二五-一三号、第二五-一六号及び第二五-一七号)

一、東洋信託銀行和歌山支店次長森本富夫作成の昭和五〇年一〇月二一日付及び同月二二日付各確認書

一、山一証券株式会社の顧客勘定元帳の写

一、日興証券株式会社の預り金勘定元帳の写

一、日本芸術院長有光次郎作成の捜査関係事項照会回答書

一、神融会会則改正案二通及び神融会会則

一、雑誌「書道研究」七三冊

一、押収してある個人収支大学ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の五)、無題ノート一冊(同号の八)、金銭出納帳一冊(同号の九)、会計報告綴一綴(同号の一〇) 預金ノート四冊(同号の一一乃至一三及び二五)、メモ一枚(同号の二六)及び雑書綴一冊(同号の二七)

判示第一の各事実につき

一、被告人天石弘に対する大蔵事務官の昭和五〇年九月四日付質問てん末書二通

一、被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年六月二五日付、同月二六日付、同年七月六日付(九枚綴)及び同月二一日付(二通)各供述調書

一、高橋千恵子に対する大蔵事務官の昭和五〇年九月四日付、同月一八日付、同月一九日付、同月二三日付、同年一〇月一三日付、同年一一月一〇日付、同月二五日付、同年一二月一七日付及び昭和五一年一月二八日付各質問てん末書

一、高橋千恵子の検察官に対する昭和五一年五月七日付、同年六月二八日付、同年七月七日付、同月一九日付及び同月二一日付各供述調書

一、佐々木良子(三通)、炭山南木(昭和五一年七月二二日付)、田端順造及び岩田正之に対する大蔵事務官の各質問てん末書

一、佐々木良子、須崎豊及び白鞘弘の検察官に対する各供述調書

一、津田武次の検察事務官に対する供述調書二通

一、高橋千恵子作成の昭和五〇年一一月二一日付、同年一二月五日付、同月一二日付(二通)、同月一七日付及び昭和五一年一月二八日付各確認書

一、大蔵事務官作成の確認書四通

一、大蔵事務官作成の査察官調査書一九通(記録第二五-三号、第二五-四号、第二五-七乃至一二号、第二五-一四号、第二五-一五号、第二五-一八乃至二五号及び昭和五一年二月二〇日付)

一、被告人会社の登記簿謄本二通

一、押収してある決算関係書類綴一綴(昭和五二年押第三〇号の六)及び収支明細綴一綴(同号の七)

判示第一の一の事実につき

一、被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年七月一九日付供述調書

一、被告人会社の昭和四八年事業年度の法人税確定申告書の謄本

一、押収してある昭和四八年総勘定元帳一冊(昭和五二年押第三〇号の一)及び昭和四八年補助簿一冊(同号の三)

判示第一の二の事実につき

一、被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年七月一四日付(一七枚綴)供述調書

一、大岡繁に対する大蔵事務官の質問てん末書

一、大岡繁の検察事務官に対する供述調書

一、大蔵事務官作成の査察官調査書(記録第二五-二号)

一、被告人会社の昭和四九年事業年度の法人税確定申告書の謄本

一、押収してある昭和四九年総勘定元帳一冊(昭和五二年押第三〇号の二)、昭和四九年補助簿一冊(同号の四)及び元帳一綴(同号の一四)

判示第二の各事実につき

一、被告人天石弘に対する大蔵事務官の昭和五〇年九月二三日付、同年一〇月二九日付、同年一一月一四日付、同月二七日付及び同年一二月一日付(二通)各質問てん末書

一、被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年七月二日付、同月三日付、同月六日付(一一枚綴)、同月一四日付(五枚綴)、同月一六日付(二通)及び同月二〇日付各供述調書

一、被告人天石弘作成の確認書三通(記録第一六-一、三及び四号)

一、高橋千恵子(昭和五一年六月二四日付の六枚綴、同年七月一二日付及び同月一四日付)、天石政子(同年七月二〇日付)及び森川傳治の検察官に対する各供述調書

一、高橋千恵子、内山和夫、大津幸太郎、井上努、駿河幸子及び貴志多美子の検察事務官に対する各供述調書

一、森川傳治に対する大蔵事務官の質問てん末書

一、大蔵事務官作成の査察官調査書二六通(記録第一七-三乃至二八号)

一、和歌山税務署長作成の昭和五一年一月二七日付及び同年二月五日付各証明書

一、検察事務官作成の昭和五一年七月二一日付電話聴取書

一、押収してある秀和寮会計帳一冊(昭和五二年押第三一号の四)、七二年と題するノート一冊(同号の五)、無題ノート三冊(同号の六乃至八)、月謝ノート三冊(同号の九、一一及び一二)、習字ノート一冊(同号の一〇)及び無表題ノート一冊(同号の一四)

判示第二の一の事実につき

一、被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年七月一〇日付及び同月一九日付各供述調書

一、大津幸太郎の検察官に対する供述調書二通

一、天石政子の検察事務官に対する供述調書

一、被告人天石弘の昭和四八年の所得税確定申告書の謄本

一、押収してある納品書綴一冊(昭和五二年押第三一号の一)及び領収証綴一冊(同号の二)

判示第二の二の事実につき

一、被告人天石弘の昭和四九年の所得税確定申告書の謄本

(争点についての判断)

第一、被告人会社設立前の書道研究社の営業主体及び被告人会社の実体

昭和三三年一月、月刊誌「書道研究」の発刊により被告人会社設立前の書道研究社の事業が開始され、その後昭和四四年一月七日、右書道研究社の事業を引き継いで被告人会社が設立されたことは前掲の関係各証拠上明らかであるところ、検察官は、被告人会社設立前の右書道研究社の事業は、被告人天石弘の個人事業であって、当時、炭山南木が主宰していた書道研究団体の神融会とは何ら関係なく、右書道研究社の事業を引き継いで設立された被告人会社も被告人天石弘が個人で設立した会社で右神融会とは関係がないと主張し、これに対して、弁護人らは、被告人会社設立前の書道研究社の事業は、被告人天石弘の個人事業ではなく、右神融会の事業であり、被告人会社は、節税対策上右書道研究社を法人組織にしただけのもので、実質的にはやはり右神融会の一部門と言うべきであると主張する。そして、被告人天石弘も、当公判廷においては右弁護人らの主張にそう供述をしている。

ところで、被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年六月一一日付、同月一七日付及び同月一八日付各供述調書並びに同被告人に対する大蔵事務官の昭和五〇年九月一八日付、同年一〇月一六日付及び同年一二月二三日付各質問てん末書、津田武次(二通)及び炭山南木(昭和五一年一月二七日付)に対する大蔵事務官の各質問てん末書によると、被告人会社設立前の書道研究社は、書道の研究及び教育のための月刊誌「書道研究」の発行を主な事業としてきたのであるが、初めからその事務所を前記神融会の事務所(大阪府東大阪市内の炭山南木宅)とは別に和歌山市内の被告人天石弘の自宅及び和歌山県教育会館内に置き、被告人天石弘において雇い入れた事務員や同被告人の妻子らに事務処理を行わせて、殆んど被告人天石弘の企画、運営のもとにその事業を営んできたこと、そして、右書道研究社は、その事業の発展に伴い節税のためそのまま株式会社に組織替えされることになって、昭和四四年一月被告人会社が設立されたのであるが、被告人会社の設立については、被告人天石弘が、前記書道研究社の税務処理を担当していた税理士の津田武次にその手続を依頼し、発起人には自己のほか自己の妻や親戚及び弟子達に名義を借りてその人数を整え、また、出資金一〇〇万円も全額前記書道研究社の資産から払い込まれたのであって、このようにして設立された被告人会社は、被告人天石弘が当時奈良教育大学に奉職していたため役員に就任できなかったことから、最初は同被告人の長男天石宇洋を、昭和四四年一二月同人の死亡後は同被告人の長女貴志多美子を代表取締役にし、また、同被告人の妻政子や親戚の者らをその他の役員にして形式的に組織を整えながら、実際にはやはり殆んど被告人天石弘の企画、運営により和歌山市内の同被告人の自宅及び和歌山県教育会館内の事務所で前記書道研究社当時と同様の事業を営んできたのであり、前記神融会の会長であった炭山南木は被告人会社の株主や役員になったことがないことが認められ、以上の各事実を見る限りは、いかにも、前記書道研究社の事業は、前記の神融会とは関係のない被告人天石弘の個人事業であり、その事業を引き継いた被告人会社も、右神融会とは無関係で実質上被告人天石弘の経営する会社であるかのように見受けられる。

しかしながら、証人小野田慎一及び同白鞘弘の当公判廷における各供述、前記の炭山南木に対する大蔵事務官の質問てん末書、被告人天石弘の当公判廷における供述及び同被告人に対する大蔵事務官の昭和五〇年一〇月一六日付質問てん末書に神融会会則、神融会の昭和四九年度会員名簿、雑誌書道研究合計七三冊並びに神融会の事業報告書九通を総合すると、前記の神融会は、炭山南木が会長として主宰する書道研究団体であるが、その会則には、神融会の事業の一つとして機関誌書道研究の発行(昭和三六年当時)又は書道研究誌の発行(昭和四九年当時)が掲げられており、その上に機関誌書道研究は書道研究社において発行する旨(昭和三六年当時も昭和四九年当時も同様)定められているところ、被告人天石弘は、前記の月刊誌「書道研究」の創刊当時から右神融会では副会長又は理事長として会長の炭山南木に次ぐ地位にあったもので、被告人天石弘が被告人会社設立前の書道研究社において月刊誌「書道研究」の出版事業を行うようになったのも右炭山南木の指示によるものであること、従って、右雑誌「書道研究」のいわゆる奥書には、当初の三号までについては「編集兼発行人天石弘」と被告人天石弘の氏名しか記載されていなかったが、昭和三三年四月号からは右天石弘の氏名の右横に「会長炭山南木」と記載されるようになり、その後昭和三四年四月号からはその奥書自体は当初の三号までと同様に復したものの、その奥書のすぐ右側に「会長炭山南木、主幹天石東村(被告人天石弘の号)」と記載されてきたし、右「書道研究」の殆んど毎号に右炭山南木の自筆の書が手本として掲載され、また、同誌には時折「神融会だより」等の標題のもとに前記神融会に関する記事も掲載されてきたほか、右「書道研究」の昭和三三年一月号にある会長炭山南木名の「発刊の御挨拶」、その昭和四一年四月号にある会長炭山南木名の「壱百号発行にあたり御挨拶」及びその昭和四九年八月号にある会長炭山南木名の「二百号発行にあたり御挨拶」なる記事には、いずれも右「書道研究」が炭山南木を頂点に置くグループの主宰により発行されている雑誌であると受け取れる文章が掲載されていること、そして、被告人会社の設立の前後を通じて、前記神融会の年間事業報告にも右「書道研究」の発行に伴う事業である誌友大会の開催報告が加えられてきたことが認められるのであって、これらの各事実に更に証人小野田慎一及び同白鞘弘の当公判廷における各供述、第四回公判調書中の証人高橋千恵子の供述部分並びに被告人天石弘の当公判廷における供述を併せ考えれば、右「書道研究」は、まさに前記の神融会の会則に掲げられている同会の機関誌であり、同誌の発行を主たる事業としてきた被告人会社設立前の書道研究社は右神融会の一部門であって、前記のとおり節税の目的で右書道研究社の事業をそのまま引き継いで設立された被告人会社も、実質的には右神融会の一部門と言うべきもので、被告人天石弘は、右神融会において会長に次ぐ地位にあった者として、実務上、右書道研究社及び被告人会社の運営を切り廻わしてきたに過ぎないものと認められる。

もっとも、被告人天石弘の捜査段階での供述では、雑誌「書道研究」の発行や右書道研究社従って被告人会社の事業は、被告人天石弘個人が経営してきたもので、右神融会や炭山南木とは関係がないとされているが、前記認定の各事実と証人小野田慎一及び同白鞘弘並びに被告人天石弘の当公判廷における各供述に徴すると、右のような被告人天石弘の捜査段階での供述は、被告人天石弘がその当時まで書道の恩師として畏敬してきた炭山南木を本件脱税問題にかかわらせまいとしたことによる虚偽の供述であると認められるので信用できない。また、津田武次に対する大蔵事務官の質問てん末書二通及び検察事務官作成の昭和五八年九月二四日付捜査報告書によると、昭和四三年頃から被告人会社設立前の書道研究社の収益について被告人天石弘の名義で所得税の確定申告がなされていた事実が認められるが、右の津田武次に対する大蔵事務官の各質問てん末書及び被告人天石弘の当公判廷における供述を総合すれば、右の所得税の確定申告は、それまで欠損状態を続けた右書道研究社の事業が収益をあげるようになって、被告人天石弘からその収益についての所得税の申告手続を一切任された税理士の津田武次がとりあえず同被告人の名義で行ったものであることが認められるのであって、このことによっても、前記の認定をくつがえすことはできない。

第二、所得税法違反関係

一、事業所得

(一) 昭和四八年末の現金高

検察官は、被告人天石弘の昭和四八年一二月中における現金収入を合計六八一万五八一三円、現金支出を合計五二二万九二四〇円として、その収支の差額一五八万六五七三円が昭和四八年末の現金高であるとする。これに対し、弁護人らは、現金支出額については争わないが、検察官主張の現金収入のうち、小川外三名からの添削料二万円は真実は歳暮であり、これとその他からの歳暮一〇五万円の合計一〇七万円は本来非課税所得であるから、昭和四八年末の現金高は検察官主張の一五八万六五七三円から右の一〇七万円を差し引いた五一万六五七三円であると主張する。

そこで、先ず検察主張の右小川外三名からの添削料二万円の現金収入についてみるに、被告人天石弘に対する大蔵事務官の昭和五〇年一〇月六日付質問てん末書及び押収してある無題ノート一冊(昭和五二年押第三一号の六)によると、被告人天石弘が同被告人個人の収支を記帳したという右無題ノートに、「昭和四十八年末御歳暮」の標題で二頁にわたり同被告人が収受した右歳暮の各贈与を贈り主ごとに書き並べた記帳があって、その中に贈り主として「木村・中山・小川・栗宮」と並記してその下に「昇試」「二〇〇〇〇」としるした記載があることが認められるところ、検察官は、右の贈り主を「木村・中山・小川・栗宮」とする部分の記載を唯一の根拠として、被告人天石弘は右小川外三名からそのとおり昇試即ち書道の昇段試験に合格した謝礼の意味での添削料として二万円を収受したのであると主張し、これに対し、弁護人らは、右の記載部分は昭和四八年中に昇段試験に合格した右小川外三名が組んで現金二万円の歳暮を贈ったことをしるしたものであると主張するのであるが、前記の無題ノートによると、右の記載部分は、前記のとおり「昭和四十八年末御歳暮」の標題下の一連の記帳の中で他の歳暮の贈与と何ら区別されずに書き並べられているし、その一連の記帳の中に、右の記載部分とは別に更に右小川外三名の者らからの歳暮の贈物の記載はないことも認められるのであるから、右の記載部分に「昇試」とあることだけから、それが右小川外三名からの添削料としての収入をしるしたものと認めるのは困難であって、右の記載部分の小川外三名から収受した二万円も他と同様に歳暮であったと認めるのが相当である。

次に、右小川外三名からの二万円と検察官主張のその他の歳暮一〇五万円の課税対象性について検討するに、これらの歳暮の贈与はすべて前記無題ノート中の「昭和四十八年末御歳暮」の標題下に記載されているのであるが、この記載によると、右各歳暮は、すべて法人でない個人からの贈与であることが認められ(なお、その中で内山アベノ店とあるのは、内山和夫の検察事務官に対する供述調書により同人の個人経営にかかる松魁堂あべの店のことであると認められる。)、一方、右各歳暮は、右の記載から殆んど被告人天石弘の書道家或いは書道の師匠としての地位に関連して贈られたものとうかがわれるものの、本件証拠上、いずれも被告人天石弘の右地位に基ずく特定の職務行為や仕事と対価、対応関係があるものとは認めることができず、一般に行われている社交儀礼上の歳末の贈物とみるよりほかないから、右各歳暮の贈与は、所得税法上の非課税所得に該ると言うべきである。

そうすると、昭和四八年末の現金高は、弁護人らの主張のとおり、検察官主張の一五八万六五七三円から前記各歳暮金の合計一〇七万円を差し引いた五一万六五七三円と認められる。

(二) 普通預金

弁護人らは、検察官主張の各普通預金のうち天石政子及び天石多美子名義の預金は、いずれも同人らの被告人会社からの役員報酬乃至は給料を預け入れたものであるから、その名義人に帰属するものであり、従って、被告人天石弘の各年末の普通預金額の確定については右両名名義の預金額を除外すべきであると主張する。

ところで、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付査察官調査書(記録第一七-一七号)によると、検察官が被告人天石弘のものであると主張する各普通預金中に、天石政子名義の第一勧業銀行和歌山支店の口座番号一一三四二二七と一〇九七四六一の二口の普通預金が昭和四七年から昭和四九年各末時を通じて含まれており(口座番号一一三四二二七の預金額は昭和四七年末時九二二二円、昭和四八年末時九三八一円、昭和四九年末時九五九八円。口座番号一〇九七四六一の預金額は昭和四七年末時五万六九四四円、昭和四八年末時五九万八八四〇円、昭和四九年末時四二万八三九五円)、また、天石多美子名義の同銀行同支店の口座番号〇二〇四五六の普通預金が昭和四七年末時に(預金額一七万二二一六円)、同人名義の同銀行同支店の口座番号一一七三三三八の普通預金が昭和四八年及び昭和四九年各末時に(預金額は昭和四八年末時三一万三二九二円、昭和四九年末時に一〇万四〇九〇円。)それぞれ含まれていることが認められ(なお、検察官主張の昭和四九年末の普通預金額の合計四三二万六九四二円は右天石多美子名義の口座番号一一七三三三八の昭和四九年末預金額を一〇四万〇〇九〇円として算定したもので誤りである。)、一方、高橋千恵子の検察官に対する昭和五一年七月一二日付及び同月一四日付各供述調書並びに押収してある個人収支大学ノート一冊(昭和五二年押第三一号の三)によると、右天石政子名義の口座番号一〇九七四六一の普通預金及び天石多美子名義の普通預金二口は、すべてその預金名義人の被告人会社からの役員報酬及び賞与を預け入れたものであることが認められる。これについて、検察官は、右天石政子並びに天石多美子の被告人会社からの役員報酬及び賞与は実質上被告人天石弘に対する報酬及び賞与であるから右の天石政子及び天石多美子名義の各普通預金は被告人天石弘に帰属するものであると主張するのであるが、前記の高橋千恵子の検察官に対する供述調書二通及び個人収支大学ノート一冊のほか、天石政子に対する大蔵事務官の昭和五〇年九月四日付及び同年一〇月二九日付各質問てん末書、貴志多美子に対する大蔵事務官の同年九月四日付質問てん末書、検察事務官作成の昭和五八年一一月二五日付捜査報告書及び被告人天石弘の当公判廷における供述を総合すると、天石政子は名目的にせよ当時も被告人会社の取締役で、貴志多美子(旧姓天石、昭和四九年一月結婚により改姓)も同じく被告人会社の代表取締役であったものであり、右両名共、被告人会社の経営には参画しなかったものの、被告人会社の設立当時から、被告人会社の事務所になっている同人らの自宅の被告人天石弘方に送られて来る競書の作品及び雑誌代金の現金書留等被告人会社宛のおびただしい数の郵便物の仕分けや被告人会社の業務に関する電話の応待等、被告人会社の事務を処理してきたこと(なお、貴志多美子は結婚後も週に二、三日被告人天石弘方に来て右の事務処理に当って来た。)、一方、被告人天石弘自身は、被告人会社からその設立以来毎月、右の天石政子らの報酬及び賞与とは別に、初めは原稿料、後には原稿料及び顧問料として一定額(昭和四八年及び昭和四九年中は一か月につき三〇万円)の金額を支給されてきたこと、そして、右の天石政子らの報酬及び賞与は被告人会社の従業員らの給料に比して不相当に多額ではないことが認められ、これらの事実に照らせば、右の天石政子及び貴志多美子の被告人会社からの役員報酬及び賞与は、実質的にも被告人天石弘に対する給与ではなく、その本人に対する報酬乃至は給料であると認めるのが相当である。もっとも、前記各証拠及び被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年七月一四日付(五枚綴)供述調書によれば、右の天石政子及び貴志多美子の報酬等を預け入れた前記各普通預金は、もっぱら被告人天石弘によって管理、運用されてきたことが認められるが、このことは、同一世帯内の夫婦、親子間での財産の管理、利用の問題であり、天石政子の検察官に対する昭和五一年七月二〇日付供述調書によると、天石政子は自己の被告人会社からの報酬等の使途については一切被告人天石弘に任せていたと言うことであるし、また、前記の個人収支大学ノート、貴志多美子に対する大蔵事務官の質問てん末書及び被告人天石弘の検察官に対する供述調書によると、貴志多美子の被告人会社からの報酬等は、同人が結婚して被告人天石弘と世帯を別にするようになってからは、三井銀行和歌山支店の同人の口座に入金されて、同人において使用してきたことが認められるのであって、右のように被告人天石弘が天石政子及び貴志多美子の報酬等を管理し、利用していたからと言って、前記認定は左右されない。また、被告人天石弘に対する大蔵事務官の昭和五〇年一一月一八日付質問てん末書では、被告人天石弘は、右の天石政子及び貴志多美子の結婚前の報酬、賞与が実質上被告人天石弘に対する報酬、賞与であると述べてはいるが、この供述は、理屈に走り過ぎていて査察官の押しつけによる疑いがあるので、採用できない。従って、右の天石政子名義の口座番号一〇九七四六一及び天石多美子名義の各普通預金は、いずれもその名義人本人に帰属するものであると言うべきである。

しかし、前記天石政子名義の口座番号一一三四二二七の普通預金については、天石政子の検察官に対する昭和五一年七月二〇日付供述調書及び前記個人収支大学ノートによれば、天石政子は、当時、前記の被告人会社からの報酬乃至は給料以外に収入の途がなく、被告人天石弘から家計用に毎月八万円位を手渡されていたものの、これを全部生活費に使ってしまっていたこと、そして、右口座番号の普通預金が右の報酬乃至は給料と関係がないことが認められるから、右口座番号の普通預金は、被告人天石弘が妻の天石政子の名義を利用して預金したもので、同被告人の資産に属すると認めるよりほかない。

以上により各年末の普通預金額を算定すると次のとおりになる。

昭和四七年末 一六九万七一〇四円(検察官主張額一九二万六二六四円から前記の天石政子及び貴志多美子に帰属する預金額の合計二二万九一六〇円を差し引いた金額)

昭和四八年末 一八二万一三八五円(検察官主張額二七三万三五一七円から前記の天石政子及び貴志多美子に帰属する預金額の合計九一万二一三二円を差し引いた金額)

昭和四九年末 二八五万八四五七円(検察官主張額四三二万六九四二円に前記誤算の修正を施した三三九万〇九四二円から前記の天石政子及び貴志多美子に帰属する預金額の合計五三万二四八五円を差し引いた金額)

(三) 積立預金

弁護人らは、検察官主張の各積立預金中、天石政子名義の積立預金は同人に帰属するものであるから、検察官主張の各年末の積立預金額から右天石政子名義の分を差し引くべきであると主張する。

ところで、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付査察官調書(記録第一七-一七号)によると、検察官主張の昭和四八年末及び昭和四九年末の積立預金額中に、天石政子名義のいずれも和歌山相互銀行宮支店の積立預金が昭和四八年末時は一二万円(一か月三万円宛の四か月分)、昭和四九年末時は一八万円(一か月三万円宛の六か月分)含まれていることが認められる。しかし、前記(二)で認定したとおり、天石政子は、当時、被告人天石弘に管理を任せていた被告人会社からの報酬乃至は給料以外に収入の途がなく、被告人天石弘から家計用に毎月八万円位を手渡されていたものの、これを全部生活費に使い果していたのであり、また、前記の個人収支大学ノートによれば、右の天石政子名義の各積立預金は、同人の被告人会社からの報酬乃至は給料のうちから預金されたものではないと認められるので、右の天石政子名義の各積立預金は、被告人天石弘自身が妻の天石政子の名義を用いて預金したもので、同被告人に帰属するものと認めるよりほかない。

(四) 定期預金

弁護人らは、検察官主張の昭和四七年乃至昭和四九年末時の各定期預金中、次の1乃至3に記載の各定期預金は、下記の理由によりいずれも被告人天石弘に帰属するものではないから、被告人天石弘の資産から除外すべきであると主張する。

1、

昭和四七年末分

イ 第一勧業銀行和歌山支店、天石東村名義、昭和四七年二月二八日設定、預金額七四万五七五八円(これは、同銀行同支店、安東マサコ名義、昭和四五年一一月三〇日設定、預金額一三万〇三二〇円と同銀行同支店、安東江津子名義、昭和四六年二月二三日設定、預金額五八万一九二一円の各定期預金の元利金合計七四万五七五八円を更に定期預金にしたものである。)

ロ 住友銀行和歌山支店、安東政子名義、昭和四六年六月七日設定、預金額二四万二四九六円

昭和四八年末分

イ 第一勧業銀行和歌山支店、天石東村名義、昭和四八年八月二八日設定、預金額七九万七九八二円(これは、前記昭和四七年末分のイの定期預金の元利金を更に定期預金にしたものである。)

ロ 住友銀行和歌山支店、安東政子、昭和四八年五月一五日設定、預金額二六万六四二五円(これは、前記昭和四七年末分のロの定期預金の元利金を更に定期預金にしたものである。)

昭和四九年末分

イ 第一勧業銀行和歌山支店、天石東村名義、預金額七九万七九八二円(昭和四八年末分のイと同じ。)

ロ 住友銀行和歌山支店、安東政子名義、預金額二六万六四二五円(昭和四八年末分のロと同じ。)

以上の各定期預金は、昭和四六年一一月二二日に、被告人会社の預金証書、証券類等を入れていた小島知子名義の第一勧業銀行和歌山支店のセイフティケース(保護預り)内から被告人天石弘個人の同銀行同支店のセイフティケース内へその預金証書が移し替えられた定期預金そのもの(昭和四七年末分のロ)及びこのようにして移し替えられた定期預金の元利金を更に継続して定期預金にしたもの(昭和四七年末分のロ以外のすべて)であって、検察官は、右セイフティケース間の保管替えをもって、その被告人会社の資産が被告人天石弘に譲渡されたのであると主張するけれども、右保管替えの前後を通じて被告人会社の従業員の高橋千恵子が右各セイフティケースを共に管理していたのであり、右保管替えは、単に小島知子名義のセイフティケースがいっぱいになったため、便宜被告人天石弘個人のセイフティケースを利用して預金証書等を移し替えたに過ぎないのであるから、右各定期預金は依然として被告人会社の資産であり、被告人天石弘の資産に属していない。

2、

昭和四七年末分

イ 住友銀行和歌山支店、天石政子名義、昭和四七年一〇月二〇日設定、預金額四〇万円

ロ 同銀行同支店、天石政子名義、昭和四七年七月一七日設定、預金額一〇万円

ハ 紀陽銀行本店、天石政子名義、昭和四七年八月八日設定、預金額一〇万円

ニ 第一勧業銀行和歌山支店、天石政子名義、昭和四七年一二月二三日設定、預金額五〇万円

ホ 和歌山相互銀行宮支店、天石多美子名義、昭和四七年七月一五日設定、預金額二万一一五〇円

ヘ 第一勧業銀行和歌山支店、天石多美子名義、昭和四七年一一月四日設定、預金額三六万五一六七円

ト 同銀行同支店、天石多美子名義、昭和四七年一一月二九日設定、預金額四二万三〇〇〇円

チ 同銀行同支店、天石多美子名義、昭和四七年一二月二三日設定、預金額一〇〇万円

リ 同銀行同支店、天石多美子名義、昭和四七年七月二〇日設定、預金額三〇万円

ヌ 同銀行同支店、天石多美子名義、昭和四七年七月二〇日設定、預金額七〇万円

ル 同銀行同支店、天石多美子名義、昭和四七年九月二七日設定、預金額六〇万円

昭和四八年末分

イ 住友銀行和歌山支店、天石政子名義、預金額四〇万円(昭和四七年分のイと同じ。)

ロ 同銀行同支店、天石政子名義、預金額一〇万円(昭和四七年末分のロと同じ。)

ハ 紀陽銀行本店、天石政子名義、昭和四八年八月八日設定、預金額一五万円

ニ 和歌山相互銀行宮支店、天石政子名義、昭和四八年一一月一日設定、預金額三〇万八二五〇円

ホ 興紀相互銀行砂山支店、天石政子名義、昭和四八年七月一八日設定、預金額一〇万円

ヘ 第一勧業銀行和歌山支店、天石政子名義、預金額五〇万円(昭和四七年分のニと同じ。)

ト 和歌山相互銀行宮支店、天石多美子名義、預金額二万一一五〇円(昭和四七年末分のホと同じ。)

チ 第一勧業銀行和歌山支店、天石多美子名義、預金額三六万五一六七円(昭和四七年末分のヘと同じ。)

リ 同銀行同支店、天石多美子名義、預金額四二万三〇〇〇円(昭和四七年末分のトと同じ。)

ヌ 同銀行同支店、天石多美子名義、預金額一〇〇万円(昭和四七年末分のチと同じ。)

ル 同銀行同支店、天石多美子名義、昭和四八年四月二三日設定、預金額一〇〇万一四七九円

ヲ 同銀行同支店、天石多美子名義、預金額三〇万円(昭和四七年末分のリと同じ。)

ワ 同銀行同支店、天石多美子名義、預金額七〇万円(昭和四七年末分のヌと同じ。)

カ 同銀行同支店、天石多美子名義、預金額六〇万円(昭和四七年末分のルと同じ。)

昭和四九年末分

イ 住友銀行和歌山支店、天石政子名義、昭和四九年二月六日設定、預金額一五万円

ロ 紀陽銀行本店、天石政子名義、預金額一五万円(昭和四八年末分のハと同じ。)

ハ 和歌山相互銀行宮支店、天石政子名義、昭和四九年一一月八日設定、預金額三二万七九七〇円

ニ 同銀行同支店、天石政子名義、昭和四九年一二月九日設定、預金額一〇万二五二一円

ホ 同銀行同支店、天石政子名義、昭和四九年九月二五日設定、預金額三一万一三一一円

ヘ 興紀相互銀行砂山支店、天石政子名義、預金額一〇万円(昭和四八年末分のホと同じ。)

ト 第一勧業銀行和歌山支店、天石政子名義、昭和四九年一月一四日設定、預金額五二万一三五九円

チ 和歌山相互銀行宮支店、天石多美子名義、昭和四九年一月二一日設定、預金額二万三〇七四円

リ 第一勧業銀行和歌山支店、天石多美子名義、昭和四九年五月一四日設定、預金額三九万五二八九円

ヌ 同銀行同支店、天石多美子名義、預金額四二万三〇〇〇円(昭和四七年末分のトと同じ。)

ル 同銀行同支店、天石多美子名義、昭和四九年一月一四日設定、預金額一〇四万二七一八円

ヲ 同銀行同支店、天石多美子名義、昭和四九年六月五日設定、預金額一〇五万円

ワ 同銀行同支店、天石多美子名義、昭和四九年一月二五日設定、預金額三七万七六三五円

カ 同銀行同支店、天石多美子名義、昭和四九年一月二五日設定、預金額七〇万円

ヨ 同銀行同支店、天石多美子名義、昭和四九年三月二七日設定、預金額六四万九五〇〇円

以上の各定期預金は、いずれも前記第二の一の(二)で主張した天石政子及び貴志(旧姓天石)多美子に帰属する普通預金並びに同(三)で主張した天石政子に帰属する積立預金を定期預金にしたものであるから、被告人天石弘の資産ではない。

3、いずれも天石江津子名義で第一勧業銀行和歌山支店の定期預金

昭和四七年及び昭和四八年末分

昭和四七年一一月二九日設定、預金額四六万一〇七〇円

昭和四九年末分

昭和四九年五月二九日設定、預金額四九万九一〇二円

右各定期預金は、被告人天石弘からその次女の天石江津子に贈与されたもので、被告人天石弘の資産に属しない。

弁護人らの主張は以上のとおりである。

そこで、右各定期預金の帰属について判断する。

1の各定期預金について

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月五日付(記録第二五-一六号)及び同月六日付(記録第一七-一七号)各査察官調査書並びに押収してある無題ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の八)及び個人収支大学ノート一冊(昭和五二年押第三一号の三)を総合すると、前記1の各定期預金は、弁護人らの主張のとおり、昭和四六年一一月二二日に被告人会社の預金証書等を入れていた小島知子名義の第一勧業銀行和歌山支店のセイフティケース内から被告人天石弘個人の預金証書等を入れていた同銀行同支店のセイフティケース内に他の証券類等と共にその預金証書が移し替えられたもの及びその移し替えられた預金証書の定期預金の元利金をそのまま継続して更に定期預金にしたものであるところ、検察官は、右セイフティケース間の預金証書等の保管替えをもって、もともと被告人会社の資産であったその預金証書の定期預金や証券類等の財産が被告人会社から被告人天石弘に譲渡されたものとし、その反面、右の譲渡されたとする財産の価額を被告人天石弘の被告人会社からの借受金に計上して被告人天石弘の各年末の資産額を算定していることが認められる。しかし、被告人天石弘に対する大蔵事務官の昭和五〇年一一月一八日付質問てん末書によると、右預金証書等のセイフティケース間の保管替えは、当時被告人会社の会計事務を担当していた高橋千恵子が被告人会社の裏資産の管理まで任せられては困ると言い出したことによるものであると説明されているところ、被告人天石弘の当公判廷における供述及び前記の個人収支大学ノートによれば、右高橋千恵子は、右預金証書等のセイフティケース間の保管替えの前後を通じて前記の被告人天石弘名義のセイフティケースに収納されていた預金証書等の財産をも管理していたことが認められるのであるから、右の被告人天石弘の質問てん末書における説明は到底納得できず、その他本件全証拠によっても、何故に右預金証書等のセイフティケース間の保管替えが行われたのか明らかでないうえに、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月五日付(記録第二五-一六号)及び同月六日付(二通、記録第一七-一七号及び第二五-一九号)各査察官調査書によれば、右セイフティケース間の保管替えが行われた定期預金証書中の柳川弘名義の近畿相互銀行和歌山支店の金額二〇万七〇〇三円の定期預金は、その後昭和四七年一一月一七日に解約されて、その元利金二二万二四七九円が被告人会社の裏預金である柳川弘名義の第一勧業銀行和歌山支店の普通預金口座に預け入れられたことも認められるのであるから、右預金証書等のセイフティケース間の保管替えにより、それらの財産がすべて被告人会社から被告人天石弘に譲渡されたと認めることはできない。従って、セイフティケース間の保管替えのあった証書、証券類等の財産についても、個別的に検討して、現実に被告人天石弘が自分で費消したとか自分の資産中に組み入れたとか、被告人天石弘に帰属したと認定すべき事実が認められない限り、被告人会社から被告人天石弘に譲渡されたものとは認め難いところ、前記の昭和五〇年一二月六日付査察官調査書(記録第一七-一七号)によると、右1の各定期預金は、いずれも順次前の定期預金の元利金を更に定期預金にして昭和四九年末当時においてもそのまま継続されてきたものであることが明らかであり、その間に被告人天石弘が特に右各定期預金を自己の資産に帰属させたと認めるべき事実も本件証拠上認められないのであるから(なお、昭和四七年末分のイの定期預金については、預金者の名義を被告人天石弘の雅号の天石東村に変更しているが、前掲の関係各証拠によれば、被告人会社の各種預金中にも天石東村名義のものがあることが認められるので、右預金者の名義の変更によって直ちにその定期預金の帰属が移動したとは言い難い。)右1の各定期預金は、昭和四七年乃至昭和四九年各末当時、依然被告人会社の資産に属していたもので、被告人天石弘に帰属しなかったものと認めるべきである。

2の各定期預金について

前記の大蔵事務官作成昭和五〇年一二月六日付査察官調査書(記録第一七-一七号)及び個人収支大学ノートによると、2に記載の各定期預金のうち、昭和四七年末分では天石政子名義のニ、天石多美子名義のチ、リ及びヌ、昭和四八年末分では天石政子名義のヘ、天石多美子名義のヌ、ル、ヲ及びワ、昭和四九年末分では天石政子名義のト、天石多美子名義のル、ヲ、ワ及びカの各定期預金は、それぞれ前記(二)の普通預金の項で天石政子又は貴志多美子に帰属すると認定した同人らの各普通預金から振替えられたもの及びその振替えにより設けられた定期預金の元利金を更に継続して定期預金にしたものであることが認められるから、これらの各定期預金は、それぞれその名義人の天石政子又は貴志多美子に帰属し、被告人天石弘の資産に属しない。

しかし、前記の大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付査察官調査書(記録第一七-一七号)及び個人収支大学ノート並びに高橋千恵子の検察官に対する昭和五一年七月一二日付及び同月一四日付各供述調書、天石政子の検察官に対する昭和五一年七月二〇日付供述調書、被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年七月一四日付(五枚綴)及び同月一六日付各供述調書を総合すると、2に記載のその余の各定期預金は、いずれも前記の天石政子及び貴志多美子の各普通預金以外の資金で設定されたものであり、しかも、天石政子及び貴志多美子は、これら定期預金の設定当時いずれも前記(二)の普通預金の項に記載の被告人会社からの報酬乃至は給料以外に収入がなかったし、右報酬乃至給料は、すべて前記の同人らの各普通預金に預け入れられていたことが認められるのであるから、2に記載の各定期預金のうち、前記の天石政子及び貴志多美子に帰属すると認められるもの以外の各定期預金は、いずれも被告人天石弘が妻子の名義を借りて預金したもので、同被告人の資産に属するものと言わざるを得ない。

3の各定期預金について

天石政子に対する大蔵事務官の昭和五〇年九月四日付質問てん末書、同人の検察官に対する昭和五一年七月二〇日付供述調書並びに被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年七月一四日付(五枚綴)及び同月一六日付各供述調書を総合すると、この各定期預金の名義人の天石江津子は、被告人天石弘の次女であるが、右各定期預金の設定当時は学生で全く収入がなかったし、これら定期預金の管理、運用に全く関係していなかったものと認められるから、これらの定期預金は、被告人天石弘が子供の名義を借りて預金したもので、弁護人主張のように右江津子に贈与されたものとは認められず、被告人天石弘の資産に属するものである。

以上により被告人天石弘の各年末における定期預金額を算定し直すと次のとおりになる。

昭和四七年末、七三九万九五四〇円(検察官主張額一〇八八万七七九四円から前記1の昭和四七年末のイ、ロ及び2の昭和四七年末分のニ、チ、リ、ヌの各定期預金額の合計三四八万八二五四円を差し引いた金額)

昭和四八年末、八三五万九五九四円(検察官主張額一二九二万五四八〇円から前記1の昭和四八年末分のイ、ロ及び2の昭和四八年末分のヘ、ヌ、ル、ヲ、ワの各定期預金額の合計四五六万五八八六円を差し引いた金額)

昭和四九年末、一二〇四万八六三一円(検察官主張額一六八〇万四七五〇円から前記1の昭和四九年末分のイ、ロ及び2の昭和四九年末分のト、ル、ヲ、ワ、カの各定期預金額の合計四七五万六一一九円を差し引いた金額)

(五)、割引債

弁護人らは、検察官主張の昭和四七年乃至昭和四九年末における各割引債のうち、次の1乃至4記載の各割引債(いずれも農林中央金庫和歌山事務所で設定)は、下記の理由によりいずれも被告人天石弘に帰属するものではないから、被告人天石弘の資産から除外すべきであると主張する。

1、

昭和四七年末分

天石弘名義、昭和四七年五月一〇日設定、引替証番号IJ〇三二三八、金額八五万一二二〇円

昭和四八年末分

天石弘名義、昭和四八年五月一五日設定、引替証番号JM〇七二七〇、金額八九万九八七〇円

昭和四九年末分

天石弘名義、昭和四九年五月一〇日設定、引替証番号LF〇七七一八、金額九五万三七二九円

右の昭和四七年末分に記載の割引債は、被告人会社の資産であった昭和四六年五月二〇日設定、引替証番号GK〇九六六七、満期昭和四七年五月二二日、払戻金額八五万円の天石弘名義の割引債の払戻金によって設定されたものであり、右の昭和四八年及び昭和四九年末分に記載の各割引債は、それぞれその前年末分に記載の右割引債の払戻金により順次継続して設定されたものであるところ、検察官は、右昭和四六年五月二〇日設定の割引債の証券が前記(四)定期預金の項の1に記載のセイフティケース間の保管替え証券類に含まれていたことから、前記の各割引債は被告人天石弘に帰属するものであると主張するのであるが、この主張が失当であることは前記の定期預金の項で述べたとおりであって、右各割引債は被告人天石弘の資産に属さないものである。

2、

昭和四八年末分

天石多美子名義、昭和四八年九月四日設定、引替証番号KI〇五〇八八、金額五六万五一四〇円

右割引債は、前記(二)の普通預金の項で主張した被告人天石弘の長女貴志多美子の被告人会社からの報酬乃至は給料によって購入されたものであるから同人に帰属し、被告人天石弘の資産に属さない。

3、

昭和四七年末分

天石弘名義、昭和四七年七月一三日設定、引替証番号IJ〇四三四五、金額四三万五一五五円

昭和四八年末分

天石弘名義、昭和四八年七月一〇日設定、引替証番号KJ〇四七三三、金額四六万三〇三〇円

昭和四九年末分

イ 天石弘名義、昭和四九年七月一八日設定、引替証番号LN〇四九四〇、金額四九万四一二〇円

ロ 天石弘名義、昭和四九年一二月九日設定、引替証番号MH〇六四六一、金額九二万七三〇〇円

右の昭和四七年末分、昭和四八年末分及び昭和四九年末分のイの各割引債は、被告人会社設立前の書道研究社が昭和四二年六月九日に購入した払戻金額三三万円の割引債から始って以後毎年、前年分の払戻金により順次継続して設定されてきたものであり、また、右の昭和四九年末分のロの割引債は、被告人会社の資産である天石東村名義の郵便貯金から一〇〇万円を払い出して購入したものであるから、これらの割引債は、いずれも被告人会社に帰属し、被告人天石弘の資産に属さない。

4、

昭和四七年末分

イ 天石江津子名義、昭和四七年六月二四日設定、引替証番号IJ〇三九四八、金額九四万五九〇〇円

ロ 天石江津子名義、昭和四七年一〇月二日設定、引替証番号IJ〇五四三三、金額五六万八二六〇円

昭和四八年末分

イ 天石江津子名義、昭和四八年六月二二日設定、引替証番号JM〇七八八四、金額一二三万一三四〇円

ロ 天石江津子名義、昭和四八年一〇月二日設定、引替証番号KI〇五四三〇、金額七五万三七六〇円

昭和四九年末分

天石江津子名義、昭和四九年五月二九日設定、引替証番号LF〇七九四一、金額一八六万一一六〇円

右各割引債が被告人天石弘の資産に属すると認めるに足る証拠はない。

弁護人らの主張は以上のとおりである。

そこで、右各割引債の帰属について判断する。

1の各割引債について

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月五日付(記録第二五-一六号)及び同月六日付(記録第一七-一七号)各査察官調査書並びに押収してある無題ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の八)及び個人収支大学ノート一冊(昭和五二年押第三一号の三)を総合すると、右1に記載の各割引債は、弁護人ら主張のとおり、被告人会社の資産であった昭和四六年五月二〇日設定、満期昭和四七年五月二二日、払戻金額八五万円の天石弘名義の割引債から始って順次前年分の払戻金で継続して設定されてきたものであるが、右の昭和四六年五月二〇日設定、払戻金八五万円の割引債の証券が、前項の定期預金に関して認定したように被告人会社のセイフティケースと被告人天石弘のそれとの間の保管替え証券類に含まれていたことから、検察官において被告人天石弘の資産に属するものと認定されたことが認められる。ところで、右セイフティケース間の証券の保管替えの一事をもってその割引債が被告人会社から被告人天石弘に譲渡されたと言えないことは前項の定期預金に関して述べたとおりであるが、前記の個人収支大学ノートによると、右1の昭和四七年末分に記載の割引債は、同年五月一一日に前記高橋千恵子が右ノートに記帳して管理していた被告人天石弘の資産の中に書き加えられ、その上で、この割引債の払戻金で継続して設定された同昭和四八年末分に記載の割引債が、昭和四九年五月一三日に右高橋千恵子から被告人天石弘に引き渡されたことが認められ、このことからすると、右の昭和四七年末分に記載の割引債は、遅くとも同年五月一一日に被告人会社から被告人天石弘に譲渡されたものと認定すべきであるから、右1の各割引債は、いずれも被告人天石弘の資産に属するものと言うべきである。

2の割引債について

前記の大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付(記録第一七-一七号)査察官調査書及び個人収支大学ノート一冊並びに高橋千恵子の検察官に対する昭和五一年七月一二日付及び同月一四日付各供述調書を総合すると、右2の割引債は、貴志多美子の被告人会社からの報酬乃至給料以外の資金で購入されたものであり、しかも、その払戻金は、昭和四九年九月二一日に農林中央金庫和歌山事務所で設定された被告人天石弘名義の割引債(金額一六六万四三八〇円)の購入資金の一部に使用されたことが認められるから、右2の割引債も、被告人天石弘の資産に属するものと言うべきである。

3の各割引債について

先ず、そのうち昭和四七年末分、昭和四八年末分及び昭和四九年末分のイに記載の各割引債についてみるに、前記の大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付(記録第一七-一七号)査察官調査書並びに押収してある無題ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の八)及び預金ノート一冊(同号の一一)を綜合すると、右の各割引債は、被告人会社設立前の書道研究社が昭和四二年中に購入した満期時の払戻金額三三万円の農林中央金庫の割引債から始まって、以後毎年前年分の払戻金により順次継続して設定されてきたもので、被告人会社の裏資金の記帳(前記の無題ノート及び預金ノート)中にも記載されていることが認められ、更に、前記第一で認定した被告人会社とその設立前の書道研究社との関係に徴すれば、右の各割引債は、被告人会社の資産であって、被告人天石弘の資産に属するものではないと認定すべきである。

次に、昭和四九年末分のロに記載の割引債についてみるに、弁護人ら主張のように右割引債が被告人会社の資金で購入されたものとは証拠上認められないので(もっとも、法人税法違反事件に関する大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付(記録第二五-一九号)査察官調査書によると、昭和四九年一二月九日に被告人会社の天石東村名義の郵便貯金から一〇〇万円が引き出された事実が認められるが、この貯金払戻金で右割引債を購入したとは認められない。)、右割引債は、その名義人の被告人天石弘の資産に属すると認定するよりほかない。

4の各割引債について

右各割引債に関しては、前記定期預金の天石江津子名義の分((四)の3)について述べたのと同じ理由により、いずれも被告人天石弘の資産に属するものと認定するよりほかない。

以上により被告人天石弘の各年末における割引債の保有額を算定し直すと次のとおりになる。

昭和四七年末、八八一万八七一七円(検察官主張額九二五万三八七二円から前記3の昭和四七年末分の割引債額四三万五一五五円を差し引いた金額)

昭和四八年末、七七〇万〇〇九〇円(検察官主張額八一六万三一二〇円から前記3の昭和四八年末分の割引債額四六万三〇三〇円を差し引いた金額)

昭和四九年末、一七二六万二八七四円(検察官主張額一七七五万六九九四円から前記3の昭和四九年末分のイの割引債額四九万四一二〇円を差し引いた金額)

(六)、貸付信託

弁護人らは、検察官主張の昭和四七年乃至昭和四九年末における各貸付信託のうち、次の1乃至3に記載の各貸付信託は、それぞれ下記の理由により被告人天石弘に帰属するものではないから、被告人天石弘の資産から除外すべきであると主張する。

1、

昭和四七年乃至昭和四九年末分

イ 東洋信託銀行和歌山支店、天石東村名義、昭和四五年一〇月二〇日設定、金額九〇万円

ロ 同信託銀行同支店、天石東村名義、昭和四五年一〇月二九日設定、金額三二万円

ハ 同信託銀行同支店、井上誠名義、昭和四六年二月二七日設定、金額一五〇万円

ニ 住友信託銀行和歌山支店、小島知子名義、昭和四五年一二月一四日設定、金額一〇〇万円

ホ 同信託銀行同支店、小島知子名義、昭和四五年一二月二九日設定、金額五〇万円

ヘ 同信託銀行同支店、小島知子名義、昭和四六年一月二七日設定、金額七八万円

ト 同信託銀行同支店、吉田正名義、昭和四六年二月一八日設定、金額二〇〇万円

チ 同信託銀行同支店、吉田正名義、昭和四六年五月一三日設定、金額二〇〇万円

以上の各貸付信託については、検察官は、それらの証券が前記(四)の定期預金の項に記載のセイフティケース間の保管替え証券類に含まれていたことから、被告人天石弘に帰属するものであると主張するのであるが、この主張が失当であることは前記(四)の定期預金の項で述べたとおりであって、右各貸付信託は、被告人天石弘の資産に属さないものである。

2、(いずれも東洋信託銀行和歌山支店)

昭和四七年及び昭和四八年末分

窪田清次名義、昭和四四年一一月五日設定、金額四〇〇万円

昭和四七年乃至昭和四九年末分

イ 山本恵美子名義、昭和四五年一〇月二日設定、金額三〇〇万円

ロ 山本恵美子名義、昭和四五年一二月九日設定、金額二〇〇万円

ハ 山本恵美子名義、昭和四五年一二月二九日設定、金額一〇〇万円

ニ 山本恵美子名義、昭和四六年四月二日設定、金額二〇〇万円

ホ 山本恵美子名義、昭和四六年四月二七日設定、金額一〇〇万円

ヘ 山本恵美子名義、昭和四六年五月三一日設定、金額一〇〇万円

ト 山本恵美子名義、昭和四六年六月二一日設定、金額一〇〇万円

チ 山本恵美子名義、昭和四六年七月一九日設定、金額一〇〇万円

リ 山本恵美子名義、昭和四六年七月二四日設定、金額一〇〇万円

ヌ 山本義雄名義、昭和四六年八月一四日設定、金額一五〇万円

ル 山本恵美子名義、昭和四六年一〇月二五日設定、金額一〇〇万円

ヲ 山本正一名義、昭和四七年一月二四日設定、金額一〇〇万円

ワ 山本恵美子名義、昭和四七年三月二九日設定、金額一六〇万円

カ 山本恵美子名義、昭和四七年五月二三日設定、金額一〇〇万円

ヨ 田中敬二名義、昭和四七年七月五日設定、金額一五〇万円

タ 田中敬二名義、昭和四七年八月二三日設定、金額三〇〇万円

レ 田中敬二名義、昭和四七年一二月一八日設定、金額五〇〇万円

昭和四八年及び昭和四九年末分

田中敬二名義、昭和四八年三月七日設定、金額三三〇万円

昭和四九年末分

天石弘名義、昭和四九年一一月二〇日設定、金額五三五万円

以上の各貸付信託は、いずれも東洋信託銀行和歌山支店の窪田清次名義の積立預金(積甲)からの振替えにより設定されたものであるが、右積立預金は、被告人会社の裏資金(他の架空名義の預金の払戻金)を預金したものであるから、右各貸付信託は、被告人会社の資産に属し、被告人天石弘に帰属するものではない。

3、

昭和四七年乃至昭和四九年末分

イ 住友信託銀行和歌山支店、小島知子名義、昭和四五年一二月一四日設定、金額五五万円

ロ 東洋信託銀行和歌山支店、天石弘名義、昭和四七年五月二〇日設定、金額一四三万円

右イの貸付信託は、被告人会社の裏資金(架空名義の定期預金の払戻金)によって設定されたものであり、右ロの貸付信託は、被告人会社設立前の書道研究社の資産である東洋信託銀行和歌山支店の安東政子名義の貸付信託(昭和四二年五月二〇日設定、金額一〇〇万円)の満期払戻金等によって設定されたものであるから、右各貸付信託は、いずれも被告人会社の資産に属し、被告人天石弘に帰属するものでない。

弁護人らの主張は以上のとおりである。

そこで、右各貸付信託の帰属について判断する。

1の各貸付信託について

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月五日付(記録第二五-一六号)及び同月六日付(記録第一七-一七号)各査察官調査書並びに押収してある無題ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の八)及び個人収支大学ノート一冊(昭和五二年押第三一号の三)によると、右1に記載の各貸付信託は、いずれもその証券が前記(四)の定期預金の項で認定したセイフティケース間の保管替え証券類に含まれていたものであることが認められる。しかし、右の証券の保管替えの一事をもって検察官主張のように右各貸付信託が被告人天石弘に帰属することになったと言えないことは、前記の定期預金の項で述べたとおりであるところ、更に、前記の大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付査察官調査書によれば、右各貸付信託は、いずれも五年満期のもので昭和四九年末にも変動なく存続していたことが認められ、本件証拠上、その間に右各貸付信託を被告人天石弘に帰属させる特段の措置がとられた形跡も認められないから、右各貸付信託は、なお被告人会社の資産に属し、被告人天石弘に帰属するものではないと認めるべきである。

2の各貸付信託について

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付(記録第一七-一七号)査察官調査書並びに東洋信託銀行和歌山支店次長森本富夫作成の同年一〇月二一日付及び同月二二日付(二通)各確認書を総合すると、右2に記載の各貸付信託のうち、昭和四七年及び昭和四八年末分に記載の貸付信託(窪田清次名義、金額四〇〇万円)並びに昭和四九年末分に記載の貸付信託(天石弘名義、金額五三五万円)以外の各貸付信託は、いずれも弁護人ら主張のように東洋信託銀行和歌山支店の窪田清次名義の積立預金(積甲)を資金として振替により設定されたものであることが認められるが、右の昭和四七年及び昭和四八年末分に記載の窪田清次名義、金額四〇〇万円の貸付信託は、現金を払い込んで設定されたものであり、また、右の昭和四九年末分に記載の天石弘名義、金額五三五万円の貸付信託は、右窪田清次名義の四〇〇万円の貸付信託の満期払戻金と同信託銀行同支店の同人名義の金銭信託を主たる資金として設定されたものであることが認められる。

ところで、弁護人らは、前記東洋信託銀行和歌山支店の窪田清次名義の積立預金(積甲)は被告人会社の他の架空名義の預金払戻金を預金したものであると主張し、その架空名義の預金払戻金を各年ごとに列挙して指摘しているが、関係各証拠によれば、右弁護人ら指摘の被告人会社の預金払戻金は、いずれも右窪田清次名義の積立預金口座に預金されていないことが認められる。これを弁護人ら指摘の昭和四五年中の右預金払戻金に例をとって説明すれば、弁護人らは、同年中に被告人会社の預金である第一勧業銀行和歌山支店の安東マサコ(政子)名義の普通預金から〈1〉一月五日に一〇〇万円、〈2〉三月一七日に一〇〇万円、〈3〉四月七日に六〇万円、〈4〉四月二三日に三〇万円、〈5〉六月二三日に一〇〇万円、〈6〉八月一一日に九七万五一五二円、〈7〉一〇月二七日に五九万二〇〇〇円、〈8〉一一月二六日に七四万二七九一円が払い戻され、これらの預金払戻金が前記の窪田清次名義の積立預金口座に預け入れられたと主張するのであるが、右〈1〉の払戻金については、押収してある金銭出納帳一冊(昭和五二年押第三〇号の九)によると、これは炭山南木に交付されたこと、右〈2〉の払戻金については、右金銭出納帳及び預金ノート一冊(同号の二五)によると、これは同銀行同支店の定期預金にされたこと、右〈3〉の払戻金については、右金銭出納帳によると、その払戻日は五月七日で、これは被告人天石弘に手渡されたこと、右〈4〉の払戻金については、右金銭出納帳によると、その払戻日は五月二三日で、これは被告人天石弘に手渡されたこと、右〈5〉の払戻金については、右金銭出納帳によると、これも被告人天石弘に手渡されたこと、右〈6〉の払戻金については、右金銭出納帳及び預金ノートによると、その払戻日は九月一一日で、これは山一証券のファミリーファンドの購入資金に当てられたこと、右〈7〉及び〈8〉の各払戻金については、右金銭出納帳及び預金ノート並びに無題ノート一冊(同号の八)によると、これらは松下電器産業株式会社の株式購入資金に当てられたことがそれぞれ認められ、右預金の各払戻金は全く前記窪田清次名義の積立預金口座に預金されなかったことが明らかである。

そして、押収してある無表題ノート一冊(昭和五二年押第三一号の一四)によると、前記の昭和四七年及び昭和四八年末分として記載の窪田清次名義の四〇〇万円の貸付信託は、被告人天石弘の資産を記帳した右無表題ノートに記載されていることが認められ、更に、このことから、被告人天石弘は、自己の東洋信託銀行和歌山支店との取引につき窪田清次なる架空名義を用いていたものとも認められる。

以上認定の各事実を総合すると、前記2の各貸付信託は、いずれも被告人天石弘の資産に属するものと認めるべきである。

3の各貸付信託について

先ず、イの住友信託銀行和歌山支店の小島知子名義、金額五五万円の貸付信託についてみるに、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月五日付(記録第二五-一六号)及び同月六日付(記録第一七-一七号)各査察官調査書並びに押収してある無題ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の八)及び個人収支大学ノート一冊(昭和五二年押第三一号の三)を総合すると、右小島知子名義の金額五五万円の貸付信託は、前記1の各貸付信託と同様に、その証券が前記認定のセイフティケース間の保管替え証券類に含まれていたものであることが認められ、右小島知子名義の貸付信託は、前記1の各貸付信託について述べたのと同様の理由により、被告人会社の資産に属し、被告人天石弘に帰属するものではない。

次にロの東洋信託銀行の天石弘名義、金額一四三万円の貸付信託についてみるに、前記の大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付査察官調査書及び無題ノートによると、右天石弘名義の金額一四三万円の貸付信託は、東洋信託銀行和歌山支店の安東政子名義、金額一〇〇万円の貸付信託の満期払戻金とその収益金による同信託銀行同支店の安東江津子名義の金銭信託を資金にして設定されたものであるが、右安東政子名義の貸付信託は、昭和四二年四月二〇日満期の近畿相互銀行和歌山支店の天石東村名義による積立預金の満期払戻元金一〇〇万円によって設定されたものであることが認められるところ、右無題ノート及び無表題ノート一冊(昭和五二年押第三一号の一四)によれば、右の安東政子名義の貸付信託については、その証書が同貸付信託の設定当時に前記高橋千恵子から被告人天石弘に引き渡され、同被告人の資産を記帳した右無表題ノートにも記載されていることが認められるし、また、右近畿相互銀行和歌山支店の天石東村名義による積立預金の利息は、その満期当時に現金で被告人天石弘に手渡されたことが認められるのであって、これらの事実に徴すると、右の天石弘名義の金額一四三万円の貸付信託は、被告人天石弘の資産に属するものと認定すべきである。

以上により各年末当時の被告人天石弘の資産である貸付信託の金額を算定し直すと次のとおりになる。

昭和四七年末、七三七〇万円(検察官主張額八三二五万円から前記1及び3のイの各貸付信託の金額の合計九五五万円を差し引いた金額)

昭和四八年末、八七三九万円(検察官主張額九六九四万円から前記1及び3のイの各貸付信託の金額の合計九五五万円を差し引いた金額)

昭和四九年末、九七七六万円(検察官主張額一億〇七三一万円から前記1及び3のイの各貸付信託の金額の合計九五五万円を差し引いた金額)

(七)、金銭信託

弁護人らは、信託銀行では貸付信託の収益金を金銭信託に振り替えているので、前記(六)の貸付信託の項で被告人天石弘の資産に属しないと主張した各貸付信託の収益金の振替による各金銭信託は、被告人天石弘の資産から除外すべきであって、その除外すべき金銭信託の額は、

昭和四七年末において合計三三七万六九〇六円

昭和四八年末において合計五九九万七五一九円

昭和四九年末において合計八一〇万四七一八円

であると主張する。

ところで、前記認定のとおり、(六)に記載の各貸付信託のうち、被告人天石弘の資産に属さないのは右(六)の1の各貸付信託と同3のイの貸付信託だけであるが、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付(記録第一七-一七号)査察官調査書によると、右の被告人天石弘の資産に属さない各貸付信託の収益金は、それぞれその信託銀行支店の金銭信託に振り替えられて各年末に金銭信託として存在したこと、そして、それらの金額は次のとおりであることが認められる。

右(六)、1、イの貸付信託の収益金による金銭信託(通帳番号七九四三七)

昭和四七年末 一一万〇四三〇円

昭和四八年末 一六万二四二五円

昭和四九年末 二七万七六五一円

同1、ロの貸付信託の収益金による金銭信託(通帳番号七九七二〇)

昭和四七年末 四万〇二五一円

昭和四八年末 五万九〇七九円

昭和四九年末 八万二二五四円

同1、ハの貸付信託の収益金による金銭信託(通帳番号八三四二八-〇)

昭和四七年末 一四万二六四九円

昭和四八年末 二二万七五七三円

昭和四九年末 三三万二三六四円

同1のニ、ホ、ヘ、3のイの各貸付信託の収益金全部による金銭信託(通帳番号七三七)

昭和四七年末 三一万二七八三円

昭和四八年末 四七万六八八四円

昭和四九年末 六七万七九〇八円

同1のト、チの各貸付信託の収益金全部による金銭信託(通帳番号一二二七)

昭和四七年末 三六万五七五八円

昭和四八年末 五九万三三〇二円

昭和四九年末 八九万三七三一円

そこで、右各金銭信託は、被告人会社の資産に属し、被告人天石弘の資産に属さないことになるので、これら金銭信託の金額を検察官主張の金銭信託の金額から差し引いて各年末当時の被告人天石弘の資産である金銭信託の金額を算定し直すと次のとおりになる。

昭和四七年末 九一〇万九三九四円

昭和四八年末 一二一四万二九九九円

昭和四九年末 一七二三万四五三二円

(八)、有価証券

弁護人らは、検察官主張の各有価証券のうち、次の各有価証券は、いずれも前記(四)の定期預金の項に記載のセイフティケース間の保管替え証券類に含まれていたものか、あるいは、右保管替えの有価証券を売却した資金で取得されたものであるから、既に述べたとおり被告人会社に帰属し、被告人天石弘の資産に属さないものであると主張する。

1、昭和四七年乃至昭和四九年末分

イ 山一証券和歌山支店、ファミリーファンドNo.七一一二(天石弘名義、昭和四七年一月一三日購入。弁護人ら提出の「帰属と認定の誤りによる各科目減算の根拠」にNo.七二〇一とあるのは誤り。)、金額一〇三万一〇〇〇円(弁論要旨で一〇五万円としているのは誤り。)

ロ 山一証券和歌山支店、ユニバーサルファンド(天石弘名義、昭和四七年三月二四日購入)、金額三一三万五〇〇〇円

ハ 山一証券和歌山支店、ファミリーファンドNo.七一〇六(天石弘名義、昭和四七年二月四日購入)金額二一七万二四〇〇円

ニ 山一証券和歌山支店、マルユウファンド五〇(天石弘名義、昭和四七年二月二六日購入)、金額五〇万円

ホ 山一証券和歌山支店、ファミリーファンドNo.二〇六(天石弘名義、昭和四七年六月一三日購入。

右「減算の根拠」に二〇〇とあるのは二〇〇口の意味。)、金額二一〇万円

ヘ 山一証券和歌山支店、ファミリーファンドNo.七二一〇(天石弘名義、昭和四七年一〇月一三日購入)、金額一二〇万七五〇〇円

ト 一四回国債五〇口(下村紀子名義、昭和四四年六月二日購入)、金額四九万一五五九円

チ 山一証券和歌山支店、ファミリーファンドNo.七一一二(天石弘名義、昭和四七年一月一三日購入)、金額一〇三万一〇〇〇円

リ 山一証券和歌山支店、銀行保険ファンド一〇〇口(天石弘名義、昭和四七年一二月二七日購入)、金額一〇六万九六三五円

2、昭和四七年及び昭和四八年末分

イ 日興証券和歌山支店、ファミリーファンド#二二七、九七口(天石弘名義、昭和四七年三月八日購入)、金額一〇一万八五〇〇円

ロ 日興証券和歌山支店、ファミリーファンド#二二八、三〇口(天石弘名義、昭和四七年四月七日購入)、金額三〇万円

ハ 日興証券和歌山支店、ファミリーファンド#二三二、六〇口(天石弘名義、昭和四七年八月五日購入)、金額六三万円

3、昭和四七年末分

イ 日興証券和歌山支店、第二回オープン、一〇〇〇口(天石弘名義、昭和四四年一〇月九日購入)、金額一一四万九〇〇〇円

ロ 日興証券和歌山支店、第二回オープン、五〇〇口(天石弘名義、昭和四四年一〇月二一日購入)、金額五八万八〇〇〇円(弁護人ら主張の金額は五八万六五〇〇円であるが、たな卸額による。)

ハ 日興証券和歌山支店、第一オープン五〇〇口(天石弘名義、昭和四七年九月一九日購入)、金額四〇万七〇〇〇円

4、昭和四八年末分

イ 山一証券和歌山支店、ファミリーファンド#二三九、一〇〇口(天石弘名義、昭和四八年三月六日購入)、金額一〇五万円

ロ 山一証券和歌山支店、ファミリーファンド#二四〇(天石弘名義、昭和四八年四月一一日購入)、金額五二万五〇〇〇円

5、昭和四九年末分

イ 日興証券和歌山支店、ファミリーファンド#二五五、二〇〇口(天石弘名義、昭和四九年七月一三日購入)、金額二一〇万円

ロ 日興証券和歌山支店、ファミリーファンド#二五二、一四一口(天石弘名義、昭和四九年四月一二日購入)、金額一四八万〇五〇〇円

そこで、右各有価証券の帰属について判断する。

1のイ有価証券について

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月五日付(記録第二五-一六号)及び同月一五日付(記録第一七-二三号)各査察官調査書、山一証券株式会社の顧客勘定元帳の写、並びに押収してある無題ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の八)及び個人収支大学ノート一冊(昭和五二年押第三一号の三)を総合すると、右1のイのファミリーファンド(右の昭和五〇年一二月一五日付査察官調査書で証券番号が七二〇一となっているのは、七一一二の誤りと認められる。)は、前記(四)の定期預金の項に記載のセイフティケース間の保管替え証券に含まれておらず、昭和四七年一月一三日に被告人天石弘の山一証券和歌山支店における累積投資口座から一〇三万一〇〇〇円を出金して購入されたものであることが認められるから、右ファミリーファンドは、被告人天石弘の資産に属するものである。

1のロの有価証券について

前記1のイについて挙げた各証拠を総合すると、1のロのユニバーサルファンドは、昭和四七年三月一八日に被告人天石弘名義の松下電器産業株式会社の株式五〇〇〇株を売却した代金全部で同月二四日に購入されたものであるが、右株式は前記のセイフティケース間の保管替え証券の一つであったことが認められる。そして、右の証券の保管替えの一事をもって直ちに右株式が被告人天石弘に帰属することになったと言えないことは、前記定期預金の項で説明したとおりであるところ、右株式の売却代金で購入された右ユニバーサルファンドは、昭和四九年末当時もそのまま存在し、本件証拠上、これを被告人天石弘の資産に帰属させる特段の措置がとられた形跡も認められないのであるから、被告人会社の資産に属し、被告人天石弘に帰属するものではないと言うべきである。

1のハの有価証券について

前記1のイについて挙げた各証拠を総合すると、右1のハのファミリーファンドは、昭和四七年二月四日に被告人天石弘名義の近畿日本鉄道株式会社の株式二万七〇〇〇株を売却した代金六六八万〇四七五円の一部二一七万二四〇〇円で同日購入されたものであり、右株式は、前記セイフティケース間の保管替え証券の一つではあったが、右株式の売却代金の残金は、同月一七日にこれを四五〇万として被告人天石弘の山一証券和歌山支店における累積投資口座に入金されたことが認められる。そうすると、右株式の売却後ほどなくその代金の大半を被告人天石弘の資産に組み入れたことになるから、右の株式は少くともその売却当時に全部被告人天石弘に帰属することになったものとするのが相当と考えられ、従って、その売却代金の一部で購入された右ファミリーファンドは、被告人天石弘の資産に属するものと言うべきである。

1のニの有価証券について

前記1のイについて挙げた各証拠を総合すると、右1のニのマルユウファンドは、前記セイフティケース間の保管替え証券に含まれておらず、昭和四七年二月二六日に被告人天石弘の山一証券和歌山支店における信用取引保証金(マルシン保証金)で購入されたものであることが認められるから、右マルユウファンドは、被告人天石弘の資産に属する。

1のホの有価証券について

前記1のイについて挙げた各証拠を総合すると、右1のホのファミリーファンドは、前記セイフティケース間の保管替え証券には含まれておらず、昭和四七年六月一三日に被告人天石弘の山一証券和歌山支店における累積投資口座から二一〇万円を出金して購入したものと認められるから、右ファミリーファンドは、被告人天石弘の資産に属する。

1のヘの有価証券について

前記の大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月五日付(記録第二五-一六号)査察官調査書並びに押収してある無題ノート及び個人収支大学ノートによると、右1のヘのファミリーファンドは、前記セイフティケース間の保管替え証券に含まれていないことが明らかであり、また、本件証拠上、右ファミリーファンドが右の保管替え証券の売却代金その他被告人会社の資金で購入されたものと認められないから、右ファミリーファンドは、その名義人である被告人天石弘の資産に属するものと認めざるを得ない。

1のトの有価証券について

前記1のイについて挙げた山一証券株式会社の顧客勘定元帳の写以外の各証拠によると、右1のトの国債は、前記セイフティケース間の保管替え証券の一つであるが、昭和四九年末まで変動なく存在していたことが認められ、本件証拠上、右国債を被告人天石弘に帰属させる特段の措置がとられた形跡も認められないから、前記1のロの有価証券と同様にして、右国債は、被告人会社の資産であり、被告人天石弘の資産に属さないものと言うべきである。

1のチの有価証券について

右1のチのファミリーファンドは、前記1のイのファミリーファンドと同一ものである(弁護人の主張の誤り)。

1のリの有価証券について

前記1のイについて挙げた各証拠によると、弁護人らが右1のリの銀行保険ファンドの原資であると主張する前記セイフティケース間の保管替え証券の中外製薬株式会社の株式五〇〇〇株が、昭和四七年一月一二日に一一九万二一九三円で売却されたことは認められるが、本件証拠上、右銀行保険ファンドが右株式の売却代金を資金にして購入されたものであるとは認められないから、右銀行保険ファンドは、その名義人である被告人天石弘の資産であると認めるよりほかない。

2のイの有価証券について

前記1のイについて挙げた山一証券株式会社の顧客勘定元帳の写以外の各証拠及び日興証券株式会社の預り金勘定元帳の写によると、右2のイのファミリーファンドは、前記セイフティケース間の保管替え証券類とは関係がなく、昭和四七年三月四日に売却された日興証券のファミリーファンド#二一六と日興国際投信の売却代金で購入されたものであるが、右売却にかかるファミリーファンド及び投信は、いずれも被告人天石弘の資産であったものと認められるから、右2のイのファミリーファンドは、被告人天石弘の資産に属するものである。

2のロの有価証券について

前記2のイについて挙げた各証拠によると、右2のロのファミリーファンドは、前記セイフティケース間の保管替え証券類とは関係ないものと認められる。

ところで、弁護人は、また、前記の大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月一五日付(記録第一七-二三号)査察官調査書中に被告人天石弘の資産として右2のロのファミリーファンドが記載されているのは誤りで、被告人天石弘が右ファミリーファンドを購入したことはないとも主張している(弁護人岩橋健提出の弁論要旨)。しかし、前記日興証券株式会社の預り金勘定元帳の写にも、昭和四七年四月七日の記帳欄に右ファミリーファンド三〇口の買付けが記載されており、右の査察官調査書には、右ファミリーファンド三〇口は、被告人天石弘名義で昭和四七年四月七日に購入され、昭和四八年末にもそのまま存在し、昭和四九年六月一四日に二八万二五三〇円で売却された旨、その推移が明らかにされているのであって、以上によると、右のファミリーファンド三〇口は、その名義人である被告人天石弘が購入したもので、同被告人の資産に属するものと言うほかない。

2のハの有価証券について

前記2のイについて挙げた各証拠によると、右2のハのファミリーファンドは、昭和四七年八月四日に償還された天石弘名義の日興証券の第三オープンの償還金で購入されたものであり、右第三オープンは、前記セイフティケース間の保管替え証券の一つであったことが認められるところ、一方、右2のハのファミリーファンドは、昭和四九年六月一四日に売却されたことが認められるが、本件証拠上、被告人天石弘が右ファミリーファンドの売却代金を自己の用途に費消したりして取得したとは認められないから、前記1のロの場合と同様にして、右ファミリーファンドは、終始被告人会社の資産に属していたものであり、被告人天石弘の資産ではなかったものと言うべきである。

3のイの有価証券について

前記2のイについて挙げた各証拠によると、右3のイの第二回オープンは、前記セイフティケース間の保管替え証券の一つであって、昭和四八年一二月一七日に売却され、その売却代金は同月二一日に現金で支払われたことが認められるが、本件証拠上、この売却代金が被告人天石弘の所有に帰したとうかがえるような事実は認め難いから、前記1のロの場合と同様にして、右第二回オープンは、終始被告人会社の資産に属していたものであり、被告人天石弘の資産ではなかったものと言うべきである。

3のロの有価証券について

前記2のイについて挙げた各証拠によると、右3のロの第二回オープンについても、前記3のイの第二回オープンと同じことが認められ、本件証拠上、その売却代金が被告人天石弘の所有に帰したとうかがえるような事実は認め難いから、右3のロの第二回オープンも、終始被告人会社の資産に属していたものであり、被告人天石弘の資産ではなかったものと言うべきである。

3のハの有価証券について

前記2のイについて挙げた各証拠によると、右3のハの第一オープンは、前記セイフティケース間の保管替え証券類とは関係がなく、昭和四七年九月一六日に売却された被告人天石弘所有のキャノン株式会社の株式五〇〇〇株の売却代金の一部で購入されたものであることが認められるから、右第一オープンは、もとから被告人天石弘の資産であったものと認められる。

4のイ及びロの各有価証券について

前記1のイについて挙げた各証拠によると、右4のイ及びロの各ファミリーファンドは、いずれも、前記セイフティケース間の保管替え証券類と関係がなく、昭和四七年一二月九日に売却された被告人天石弘所有の大同製鋼株式会社の株式五〇〇〇株並びに昭和四八年三月二日に売却された被告人天石弘所有の日本カーボン株式会社の株式合計四〇〇〇株及び昭和電工株式会社の株式七〇〇〇株の売却代金の一部で購入されたものであることが認められるから、右各ファミリーファンドは、いずれももとから被告人天石弘の資産であったものと認められる。

5のイの有価証券について

前記2のイについて挙げた各証拠によると、右5のイのファミリーファンドは、前記セイフティケース間の保管替え証券類と関係がないものと認められる。そして、弁護人主張のように右ファミリーファンドが昭和四九年七月九日に売却された株式会社昭和起重機製作所の株式五〇〇〇株の売却代金五一万三九二五円と株式会社紀陽銀行(弁護人岩橋健の弁論要旨にキヨウワギンコウとあるのは誤記と認められる。)の株式五〇〇〇株の売却代金一八三万〇九五〇円で購入されたものであるとしても、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月一五日付(記録第一七-二三号)査察官調査書によれば、右各株式は、いずれも被告人天石弘の資産に属していたものと認められるから、右ファミリーファンドも、もとから被告人天石弘の資産に属していたものと認められる。

5のロの有価証券について

前記2のイについて挙げた各証拠によると、右5のロのファミリーファンドも前記セイフティケース間の保管替え証券類と関係がないものと認められる。そして、弁護人主張のように右ファミリーファンドが昭和四九年四月六日に売却された#4特別電々債の売却代金及び利金、敷島紡績株式会社の転換社債の売却代金並びに日興証券のファミリーファンド二三九の分配金で購入されたとしても、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月一五日付(記録第一七-二三号)査察官調査書によれば、右の電々債、社債及びファミリーファンド二三九は、いずれも被告人天石弘の資産に属していたものと認められるから、右5のロのファミリーファンドも、もとから被告人天石弘の資産に属していたものと認められる。

以上により各年末当時の被告人天石弘の資産である有価証券の金額を算定し直すと次のとおりになる。

昭和四七年末、四〇七六万一一三一円(検察官主張額四六七五万四六九〇円から前記1のロ及びト、2のハ並びに3のイ及びロの各有価証券の金額の合計五九九万三五五九円を差し引いた金額)

昭和四八年末、四四三五万四〇八七円(検察官主張額四八六一万〇六四六円から前記1のロ及びト並びに2のハの各有価証券の金額の合計四二五万六五五九円を差し引いた金額)

昭和四九年末、五一六五万三五〇二円(検察官主張額五五二八万〇〇六一円から前記1のロ及びトの各有価証券の金額の合計三六二万六五五九円を差し引いた金額)

(九)、書(尾崎木堂の「木堂書簡集」と「木堂詩墨」)の帰属

検察官は、右書を被告人天石弘の事業用資産として、同被告人の昭和四八年末及び昭和四九年末の資産中にその価格二五〇万円を計上しているのに対し、弁護人らは、右書は被告人天石弘の資産ではなく、被告人会社の資産に属するものであると主張する。

ところで、被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年七月一六日付供述調書(二六枚綴のもの)並びに押収してある領収証一枚(昭和五二年押第三一号の一三)及び預金ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の一二)によると、右書は、被告人天石弘が昭和四八年四月八日に被告人会社の資産で買い付けてきたものであることが認められ、更に、被告人天石弘の当公判廷における供述及び同被告人に対する大蔵事務官の昭和五〇年一一月一八日付質問てん末書並びに雑誌「書道研究」の一九五号乃至二四四号によれば、被告人天石弘は、前記第一で述べたように被告人会社の事業として発行されていた雑誌「書道研究」に登載する書道の手本に用いる目的で右書を買い付けたのであり、現に雑誌「書道研究」の一九五号から二四四号にかけて右書の写を書道の手本として登載してきたことが認められるのであって、以上のことに加えて、右書がその後に処分された形跡はなく、被告人天石弘自身も右書が自己の所有物ではなくて被告人会社の所有物であるとしていることにも鑑みると、右書は、被告人天石弘の資産ではなく、被告人会社の資産であると認めるのが相当である。

なお、検察官主張のように右書及びその買い付け代金の領収証が被告人天石弘の自宅に置かれていたとしても、このことは、前記第一で述べたように被告人天石弘の自宅が被告人会社の事務所でもあったし、同被告人が雑誌「書道研究」の編集に当っていたことに鑑みると、前記認定を左右するほどの事情とは言えない。また、前記の預金ノートによると、右書の買い付け代金二五〇万円は、当初、被告人会社の正規の会計からの一〇〇万円と被告人会社の裏資金である仮名預金からの一五〇万でまかなわれたが、その後に右正規の会計からの一〇〇万円を被告人会社の裏資金で返戻して結局全部被告人会社の裏資金で支払われており、しかも、右当初の正規の会計からの一〇〇万円の支出については、被告人会社の裏帳簿である右預金ノートには被告人天石弘に対する仮払いである旨記載されていることが認められるが、既に述べたとおり、被告人会社の経理はすべて前記高橋千恵子が処理していたものであるところ、本件証拠上、右書の買い付けにつき前記のような経理処理が特に被告人天石弘の指示によってなされたものとは認め難いので、右認定の代金支払の経理処理から直ちに、検察官主張のごとく被告人天石弘は右書を自己のものにする目的で買い付けたとは認められない。更に、被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年七月一六日付供述調書(二六枚綴のもの)には、被告人天石弘は右書を自己の愛蔵書にするために買い付けたとの旨の供述記載があるが、被告人天石弘は、当公判廷においてばかりか、同被告人に対する大蔵事務官の昭和五〇年一一月一八日付質問てん末書ででも、右書は前記認定のとおり雑誌「書道研究」に登載する書道の手本に用いる目的で買い付けたものであると供述しているうえ、被告人天石弘の右検察官調書では、検察官において本件起訴当時には被告人天石弘の資産に属すると主張しながら後にその主張を撤回して同被告人の資産から除外した鈴木翠軒の書も右尾崎木堂の書と同様に扱われているのであって、右検察官調書中の前記供述記載は、取調官の考えに左右されたと疑われるので採り得ない。

(一〇)、土地の取得

弁護人らは、被告人天石弘は、昭和四八年九月三〇日に森川伝治から宅地を買い、その土地の上に同被告人が経営していた書道塾の教習所用建物を建築したが、検察官が右建物については事業用資産として扱いながら、右土地については非事業用資産として扱っているのは失当であり、右土地の取得も事業用資産の取得として処理すべきであると主張する。

ところで、森川伝治に対する大蔵事務官の質問てん末書、建物の登記済権利証書及び土地分筆実測図並びに被告人天石弘の検察官に対する昭和五一年七月一九日付供述調書を総合すると、被告人天石弘は、昭和四八年一〇月ころに森川伝治との間で、被告人天石弘の自宅前の同被告人所有にかかる私道(和歌山市有家字ソリハシ八四番地の四。一四六・五平方メートル)の所有権の二分の一と右森川所有の同所八〇番地の八の宅地七五・八七平方メートルを交換すると共に、同人所有の同所八〇番地の七の宅地四一・九一平方メートルの所有権の二分の一と同人所有の同所八〇番地の六の宅地三九一・五七平方メートルのうち東側の二五九・二四平方メートル(分筆後の地番、同所八〇番地の九)を同人から買い受け、その後、同所八〇番地の七の宅地を同所八〇番地の九の宅地への通路として同宅地の一画に弁護人ら主張の書道塾用建物(二階建で一階の床面積が七六・四一平方メートル)を建築したことが認められる。そうすると、事業用資産とされている右書道塾用の建物の敷地は、前記八〇番地の九の宅地の三分の一をも占めず、同建物への通路を考慮に入れても、右認定の一括の交換及び売買により被告人天石弘が取得した土地は、全体としては非事業用資産であると言うべきであって、弁護人らの右主張は採用できない。

(一一)、事業主貸

弁護人らは、検察官主張の事業主貸のうち左記の分は付記の理由により除外すべきであると主張する。

1、昭和四八年分

イ 慶弔費六二万五〇〇〇円

右のうち六〇万円は書家宮本竹逕の芸術院賞受賞の祝金であるが、これは、同人が被告人会社の刊行にかかる雑誌「書道研究」の原稿執筆者であったことから、被告人会社が同人に贈呈したものである。また、その余の二万五〇〇〇円は、被告人天石弘経営の書道塾の塾生に贈呈された香奠及び結婚祝金であって、被告人天石弘の事業上の経費である。

ロ 支払利息一五万三七二六円

ハ 借入金返済一〇〇万円

ニ 土地購入費九一六万八四三〇円

右のロ、ハ、ニは、前記(一〇)の土地の取得に関する経費で、前記主張のとおり右土地が被告人天石弘の事業用資産である以上、事業の経費である。

ホ 株式売買損の内金七七万九八八〇円

これは、前記(八)の有価証券の項で被告人会社に帰属するものであると主張した同項3のイ及びロの日興証券第二回オープン合計一五〇〇口の売却損で被告人天石弘に関係がない。

2、昭和四九年分

イ 慶弔費五〇〇〇円

これは、被告人天石弘経営の書道塾の塾生に贈呈された香奠で、同被告人の事業の経費である。

ロ 支払利息一三万二八四八円

ハ 借入金返済七〇〇万円

右のロ、ハは、前記(一〇)の土地の取得に関する経費で、やはり被告人天石弘の事業の経費である。

弁護人らの主張は以上のとおりである。

そこで、右の各項目について順次検討する。

1、昭和四八年分

イ 慶弔費

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付査察官調査書(記録第一七-二〇号)によると、右の慶弔費は、弁護人ら主張の宮本竹逕に対する祝金六〇万円と木村喜一郎及び滝川保夫に対する香奠合計五〇〇〇円、河辺吉義及び小嶋弘行に対する結婚祝金合計二万円であることが認められるが、先ず、被告人天石弘に対する大蔵事務官の昭和六〇年一一月一四日付質問てん末書によると、右各香奠及び結婚祝金は、いずれも被告人天石弘の自宅の近所付合いに関するものであるというのであり、本件証拠上、これらの受贈者が被告人天石弘経営の書道塾の関係者であるとは認められないから、右香奠及び結婚祝金については、弁護人らの右主張は採用できない。

しかし、右の宮本竹逕に対する祝金については、押収してある預金ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の一二号)によると、右祝金は、昭和四八年五月一〇日に被告人会社の裏資金からその趣旨で被告人天石弘に手渡された六〇万円がそのまま贈呈されたものとうかがわれるところ、雑誌「書道研究」の各号によれば、右宮本竹逕は、その創刊号からの原稿執筆者であったことが認められ、同人と右書道研究の発行を事業としていた被告人会社との関係は浅くはなく、一方、本件証拠上、右祝金がとりたてて被告人天石弘個人からの祝儀として贈られたものとも認め難いのであるから、右祝金六〇万円は、これを出捐した被告人会社から贈呈されたものとするのが相当であり、右事業主貸から除外すべきである。

ロ 支払利息 ハ 借入金返済 ニ 土地購入費

前記の査察官調査書(記録第一七-二〇号)及び被告人天石弘に対する大蔵事務官の昭和五〇年一一月二七日付質問てん末書によると、これらは、いずれも前記(一〇)の土地の取得に関する経費であることが明らかであるが、前記(一〇)で認定したとおり右土地は非事業用資産と言うべきであるから、この点の弁護人らの主張は採用できない。

ホ 株式売買損の内金七七万九八八〇円

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月一五日付査察官調査書(記録第一七-二三号)によると、検察官主張の株式売買損四二八万一七一九円のうちには、前記(八)有価証券の項の3のイ及びロの日興証券第二回オープン合計一五〇〇口の売却損七七万九八八〇円が含まれていることが明らかであるが、右日興証券の第二回オープン合計一五〇〇口は、前記(八)の有価証券の項で認定したとおり被告人会社に帰属していたものであるから、その売却損七七万九八八〇円は右事業主貸から除外すべきである。

2、昭和四九年分

イ 慶弔費

前記1、イの昭和四八年分の慶弔費の項に記載の査察官調査書及び被告人天石弘に対する大蔵事務官の質問てん末書によると、右の昭和四九年分の慶弔費五〇〇〇円は、小野田貞之助、中島悦子及び櫟田戊申に対する香奠の合計であるが、これらの香奠は、いずれも被告人天石弘の自宅の近所付合いに関するものと認められるから、この点の弁護人らの主張は採用できない。

ロ 支払利息 ハ 借入金返済

右の支払利息及び借入金返済は、いずれも前記1のロ、ハの昭和四八年分のそれらと同様にして、前記(一〇)の土地の取得に関する経費であり、従って、この点の弁護人らの主張も採用できない。

3、なお、右弁護人らの主張のほかに、前記の定期預金、貸付信託及び金銭信託の帰属の認定との関連で各年度分の未払税金についても検討を加える。

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月二五日付査察官調査書二通(記録第一七-二七号及び第一七-二八号)によると、検察官主張の各年度の未払税金の算定中に前記(四)の定期預金の項で被告人天石弘の資産に属さないと認定した左記定期預金の利息に対する税額が含まれていることが認められる。

昭和四八年分

前記(四)、1の昭和四七年末分ロの住友銀行和歌山支店、安東政子名義の定期預金の利息に対する昭和四八年五月一五日解約時の正当税額七〇三七円中の未払税額二八一五円

昭和四七年の未収利息分の税額四三六三円

昭和四九年分

イ 前記(四)、1の昭和四八年分ロの住友銀行和歌山支店、安東政子名義の定期預金の昭和四九年中の未収利息に対する税額五九九四円

ロ 前記(四)の2の昭和四八年分ワの第一勧業銀行和歌山支店、天石多美子名義の定期預金の受取利息に対する税額一万四六一七円

そこで、右により各年分の未払税金額を調整すれば、

昭和四八年分については、検察官主張の未払税金額に一五四八円を加算し、

昭和四九年分については、検察官主張の未払税金額から二万〇六一一円を減じ

なければならない。

以上により各年分の事業主貸の金額を算定し直すと次のとおりになる。

昭和四八年分 二一四六万六〇五〇円(検察官主張額二二八四万四三八二円から慶弔費の一部六〇万円と株式売買損の一部七七万九八八〇円を差引き、これに前記の未払税金の調整額一五四八円を加えたもの)

昭和四九年分 一九八八万七九二〇円(検察官主張額一九九〇万八五三一円から前記未払税金の調整額二万〇六一一円を差し引いたもの)

(一二)、借入金

弁護人らは、必ず、検察官主張の昭和四七年乃至昭和四九年各末における借入金(いずれも被告人会社からの借入)のうち左記のものは、付記の理由により被告人天石弘の借入金ではないと主張する。

1、昭和四七年末分

イ 前年末からの繰越分 二四五五万六五二二円

右は、前記(四)乃至(八)の定期預金等の項で述べた第一勧業銀行和歌山支店のセイフティケース間の証券類の保管替えにより、被告人天石弘が被告人会社からその定期預金、割引債、貸付信託、金銭信託及び有価証券を譲受したとし、これに対応してそれらの金額を被告人天石弘の被告人会社からの借入金として計上したものであるが、既に主張したとおり右セイフティケース間の証券類の保管替えによりその定期預金等の帰属が被告人会社から被告人天石弘に移転したとするのは誤りであるから、右借入金の計上も誤りである。

ロ 炭山南木に渡った現金 昭和四七年四月三〇〇万円、同年七月二〇〇万円、同年一〇月三〇〇万円の合計八〇〇万円

右は、被告人会社がその存立の基盤である前記神融会の会長であった炭山南木に対して同人の芸術院会員選挙の運動資金として交付したものであるから、その出金を被告人天石弘の借入金に計上するのは誤りである。

ハ 日展審査員粗菓料 一〇〇万円

ニ 毎日展審査員粗菓料 一〇〇万円

右のハ及びニは、被告人会社が発行していた雑誌「書道研究」の会員(購読者)や前記神融会の会員らも出品する右各展覧会につき、被告人会社が出捐したものであるから、これらの出金を被告人天石弘の借入金に計上するのは誤りである。

ホ 炭山南木の絵画購入代金の代払 一〇〇万円

ヘ 炭山南木の贈答硯代金の代払 合計一九〇万円

右のホ及びヘは、被告人会社が炭山南木のために代払したもので、これらの出金を被告人天石弘の借入金に計上するのは誤りである。

2、昭和四八年末分

イ 尾崎木堂の書の購入代金 二五〇万円

前記(九)の書の項で述べたとおり右書は被告人会社の資産として購入されたのであるから、その購入代金の出捐を被告人天石弘の借入金に計上するのは誤りである。

ロ 宮本竹逕の芸術院賞受賞の祝金 六〇万円

前記(一一)の事業主貸の項で述べたとおり右祝金は被告人会社が宮本竹逕に贈呈したものであるから、その出金を被告人天石弘の借入金に計上するのは誤りである。

3、昭和四九年末分

日展審査員粗菓料 五〇万円

前記1のハ及びニと同様の理由により、この出金を被告人天石弘の借入金に計上するのは誤りである。

次に、弁護人らは、左記の金額を借入金に計上すべきであると主張する。

1、昭和四八年末分

前記(一〇)の土地を買い受けるについての被告人天石弘の東洋信託銀行和歌山支店からの借入金 七〇〇万円

2、昭和四九年末分

被告人会社の公表外の預金からの使途不明支出金一二一七万六一七〇円

右は被告人会社から被告人天石弘への貸付金とみるべきである。

弁護人らの主張は以上のとおりである。

そこで、先ず右弁護人らの減額の主張について順次判断する。

1、昭和四七年末分

イ 前年末からの繰越分について

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月五日付査察官調査書(記録第二五-一六号)によると、検察官主張の前年末からの繰越借入金二四五五万六五二二円は、弁護人らの主張のとおりにして検察官においてセイフティケース間の証券類の保管替えにより被告人天石弘が被告人会社から譲受けたとする定期預金等の金額の合計二七一〇万九六二九円を被告人天石弘の被告人会社からの借入金に計上し、他方、被告人会社がその設立前の書道研究社から引き継いだ預金の金額二五五万三一〇七円を被告人天石弘の被告人会社に対する貸付金として、その債権債務を相殺した残額であることが認められる。ところで、右のセイフティケース間の証券類の保管替えにより被告人天石弘が被告人会社から譲受けたとされている定期預金等とそれらの金額は、右査察官調査書に列記されているのであるが、そのうち(1)第一勧業銀行和歌山支店の山本弘子名義の定期預金二五万円、(2)近畿相互銀行和歌山支店の柳川弘名義の定期預金二〇万七〇〇三円、(3)山一証券和歌山支店の天石弘名義のオープン/一二〇〇口一〇五万円、(4)中外製薬株式会社の株式五〇〇〇株(天石弘名義)一二二万一〇〇〇円、(5)日鉄鋼業株式会社の株式五〇〇〇株(天石弘名義)一四〇万七〇〇〇円、(6)山一証券和歌山支店の天石弘名義のファミリーファンド(七一〇九)二六万〇〇一〇円、(7)山一証券和歌山支店の天石弘名義のファミリーファンド公社債投信8九九万九九九〇円以外の定期預金、割引債、貸付信託、金銭信託及び有価証券については、既に前記(四)乃至(八)で被告人天石弘がそれらを被告人会社から譲受けたのか否かを各別に判断したので、以下、右(1)乃至(7)の定期預金等について、前記(四)の定期預金の項で述べたところに従って被告人天石弘が譲受けたものか否かを順次判断する。

(1)の定期預金、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付査察官調査書(記録第一七号の一七)によると、この定期預金は昭和四七年一一月二一日に解約されたことが認められるが、本件証拠上、被告人天石弘においてその解約金を取得したことが認められないから、被告人天石弘が被告人会社からこの定期預金を譲受けたとは認め難い。

(2)の定期預金、前記(四)の定期預金の項で述べたとおり、この定期預金は昭和四七年一一月一七日に解約され、その解約金は被告人会社の仮名預金である第一勧業銀行和歌山支店の柳川弘名義の普通預金口座に預金されたのであるから、被告人天石弘が被告人会社からこの定期預金を譲受けたとは認められない。

(3)の有価証券オープン一二〇〇口、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月一五日付査察官調査書(記録第一七-二三号)及び山一証券株式会社の顧客勘定元帳の写によると、このオープン一二〇〇口のうち八〇〇口は昭和四七年四月一二日に六七万九七七九円で売却されて、その売却金は山一証券和歌山支店の被告人天石弘名義の信用取引保証金に組入れられ、また、残りの四〇〇口は、同年五月二七日に三四万九〇七六円で売却されて、その売却金は被告人天石弘の段谷産業株式会社の株式(一〇〇株)の購入代金に充てられたことが認められるので、被告人天石弘は遅くとも右最初の売却日の昭和四七年四月一二日に被告人会社からこのオープン一二〇〇口を譲受けたものと言うべさである。

(4)の中外製薬株式会社の株式、右査察官調査書(記録第一七-二三号)及び山一証券株式会社の顧客勘定元帳の写によると、この株式は昭和四七年一月一二日に売却されたことが認められるが、本件証拠上、被告人天石弘においてその売却金を取得したことが得められないから、被告人天石弘が被告人会社からこの株式を譲受したとは認め難い。

(5)の日鉄鋼業株式会社の株式、右査察官調査書(記録第一七-二三号)及び山一証券株式会社の顧客勘定元帳の写によると、この株式は昭和四六年一二月六日に売却されたことが認められるが、本件証拠上、被告人天石弘においてその売却金を取得したことが認められないから、被告人天石弘が被告人会社からこの株式を譲受したとは認め難い。

(6)のファミリーファンド及び(7)のファミリーファンド公社債投信、山一証券株式会社の顧客勘定元帳の写によると、このファミリーファンド及びファミリーファンド公社債投信は、昭和四六年九月八日に売却(なお、これらの売却金は、(7)のファミリーファンド公社債投信が山一証券の立替金で購入されていたため、その立替金を差し引かれて合計一九万一四九三円しか残らなかった。)され、同年一一月二二日の前記セイフティケース間の証券類の保管替え当時には存在しなかったものと認められる。そうすると、前記セイフティケース間の保管替え証券類の関係で被告人天石弘が被告人会社から譲受けたものと認められる財産は、

農林中央金庫の天石弘名義、昭和四七年五月一〇日設定の割引債八五万一二二〇円のうちの二一万円(譲受の時期は昭和四七年五月一一日。その譲受の経緯は、前記(五)の1の割引債の帰属についての認定のとおりで、内金二一万円に限ったのは前記の昭和五〇年一二月五日付査察官調査書(記録第二五-一六号)に従ったものである。)

近畿日本鉄道株式会社の株式合計二万七〇〇〇株六五五万九四〇〇円(譲受の時期は昭和四七年二月四日。その譲受の経緯は、前記(八)の1のハの有価証券ファミリーファンドNo.七一〇六の帰属についての認定のとおりであり、その金額は前記査察官調査書(記録第二五-一六号)による。)

前記(3)のオープン一二〇〇口一〇五万円(譲受の時期は昭和四七年四月一二日)だけであって、これらの金額の合計七八一万九四〇〇円を被告人天石弘の被告人会社からの借入金として計上するのは正当であるが、これらの譲受の時期からして、昭和四六年末からの繰越借入金ではなく、昭和四七年中の借入金に計上すべきである。

なお、前記第一で述べた被告人会社設立前の書道研究社の実体及びこの書道研究社と被告人会社との関係に徴すると、前記認定のように被告人会社がその設立前の書道研究社から引き継いだ預金の金額を被告人天石弘の被告人会社に対する貸付金として計上するのは誤りであるから、右の七八一万九四〇〇円の借入金は、その全額が残存することになる。

ロ 炭山南木に渡った現金合計八〇〇万円について

被告人天石弘の当公判廷における供述、被告人天石弘に対する大蔵事務官の昭和五〇年一一月一八日付質問てん末書、炭山南木の検察官に対する供述調書及び日本芸術院長有光次郎作成の捜査関係事項照会回答書並びに押収してある無題ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の八)、預金ノート一冊(同号の一一)及び雑書綴一冊(同号の二七)によると右の炭山南木に渡った現金は、いずれも同人の昭和四七年度日本芸術院会員選挙の運動費であって、被告人会社の経理処理でも初めから炭山南木に交付するものとして支出されたことが認められ、このことと前記第一で述べた被告人会社と炭山南木との関係を併せ考えれば、右の炭山南木に渡った現金は、一旦被告人天石弘が被告人会社から受け取った上で炭山南木に交付されたとしても、被告人会社から炭山南木への出捐金であると認めるべきで、これを被告人天石弘の被告人会社からの借入金として計上するのは失当である。

ハ 日展審査員粗菓料一〇〇万円、ニ 毎日展審査員粗菓料一〇〇万円について

被告人天石弘に対する大蔵事務官の昭和五〇年一一月一八日付及び同年一二月一日付(六枚綴)各質問てん末書並びに押収してある無題ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の八)及び預金ノート一冊(同号の一一)によると、右の各展審査員粗菓料は、被告人天石弘が被告人会社の裏資金を用いて右各展の審査員らに対し心付けとして現金を供与したものであることが認められるところ、被告人天石弘の右昭和五〇年一一月一八日付質問てん末書によれば、右各粗菓料は、被告人天石弘の弟子達が右各展に応募していたのでその審査員らに供与したものであるとされていて、もっぱら被告人天石弘個人の費用であるかのようにうかがわれるが、前記第一で述べた被告人会社と神融会との関係や被告人会社の事業内容に徴すると、弁護人ら主張のように、右各粗菓料が前記神融会や被告人会社のためにも供与されたものであることは否定できないから、これらを被告人天石弘の被告人会社からの借入金に計上することは相当でない。

ホ 炭山南木の絵画購入代金の代払一〇〇万円について

被告人天石弘に対する大蔵事務官の昭和五〇年一二月一日付質問てん末書(六枚綴)並びに押収してある無題ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の八)及び預金ノート一冊(同号の一一)によると、右絵画購入代金の代払は、被告人天石弘が被告人会社から現金を受け取って支払ったものであることが認められるが、前記ロの炭山南木に渡った現金についてと同様の理由により、これを被告人天石弘の被告人会社からの借入金に計上するのは失当である。

ヘ 炭山南木の贈答硯代金の代払合計一九〇万円について

押収してある無題ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の八)及び預金ノート一冊(同号の一一)によると、右硯代金の代払は、白鞘弘、原田某及び津村某(証人白鞘弘の当公判廷における供述から同人らは前記神融会の会員と認められる。)が被告人会社から現金を受け取って支払ったものと認められ、これを被告人天石弘の被告人会社からの借入金に計上する理由はない。

ト 鈴木翠軒の書の購入代金一〇〇万円について

右書の購入代金の借入関係については、弁護人らは明らかには争っていないが、検察官は、被告人天石弘が昭和四七年九月に右書を被告人会社の資金で購入して炭山南木に贈与したとして、右書の購入代金一〇〇万円を被告人天石弘の被告人会社からの借入金に計上しているところ、この検察官の主張は、前記ロの炭山南木に渡った現金についてと同様の理由により失当であって、右書の購入代金を被告人天石弘の被告人会社からの借入金に計上することはできない。

2、昭和四八年末分

イ 尾崎木堂の書の購入代金二五〇万円について

前記(九)で右書の帰属について述べたとおり、右書は、被告人会社の資金で購入されたが、被告人会社の資産として購入されたものであるから、その購入代金を被告人天石弘の被告人会社からの借入金に計上することは失当である。

ロ 宮本竹逕の芸術院賞受賞の祝金六〇万円について

前記(一一)の事業主貸の項で述べたとおり、右祝金は、被告人会社の資金から出捐されたが、被告人会社が同人に贈呈したものと認めるべきであるから、これを被告人天石弘の被告人会社からの借入金に計上することは失当である。

3、昭和四九年末分

日展審査員粗菓料五〇万円について

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付査察官調査書(記録第一七-一九号)及び押収してある預金ノート一冊(昭和五二年押第三〇号の一二)によると、検察官が右粗菓料であると主張する五〇万円の出金は、右預金ノートに記載の被告人会社の裏預金である前田一夫名義の普通預金からであり、その記載中に昭和四九年九月三〇日先生渡し五〇万円とあるのが右出金を記帳したものとうかがわれるところ、この五〇万円の出金は同年一〇月二日に立替分戻として返還されたことが認められるのであって、そもそも、被告人天石弘が被告人会社の資金で日展審査員に右の粗菓料五〇万円を供与した事実の存在が疑わしいのであるから、これを被告人天石弘の被告人会社からの借入金に計上することはできない。

次に、弁護人らの加算の主張について判断するに、昭和四八年末分の土地購入についての東洋信託銀行からの借入金七〇〇万円に関しては、前記(一〇)の土地の取得の項で述べたとおり右土地が非事業用資産である以上、右借入金を事業上の借入金に計上することはできず、また、昭和四九年末分の被告人会社の公表外預金からの使途不明支出金一二一七万六一七〇円については、これを被告人天石弘の被告人会社からの借入金に計上する根拠は全く見当らないから、右加算の主張はすべて採用できない。

以上により各年末における借入金の額を計算し直すと次のとおりになる。

昭和四七年末、八三二万四四〇〇円(検察官主張額三八九六万一五二二円から前記弁護人らの減額主張の1のイ乃至ヘの金額及び前記鈴木翠軒の書の購入代金分の一〇〇万円を差し引き、前記1のイの関係で認定した割引債、近畿日本鉄道株式会社の株式及び山一証券のオープンの譲受に対応する借入金七八一万九四〇〇円を加算した金額)

昭和四八年末、八六四万四四〇〇円(前記の昭和四七年末当時の借入金額八三二万四四〇〇円に検察官主張の当期増加額三四二万円より前記弁護人らの減額主張の2のイ及びロの金額を差し引いた残額三二万円を加算した金額)

昭和四九年末、一一四四万四四〇〇円(前記の昭和四八年末当時の借入金額八六四万四四〇〇円に検察官主張の当期増加額三三〇万円より前記弁護人らの減額主張の3の金額を差し引いた残額二八〇万円を加算した金額)

(一三)、事業主借

弁護人らは、昭和四八年分及び昭和四九年分を通じて、既に被告人天石弘に帰属しないと主張した普通預金及び定期預金の受取利息並びに割引債、貸付信託及び金銭信託の収益金を事業主借の金額から差し引くべきであると主張する。

そこで、これまでの認定をもとに各年分の事業主借の全般について検討する。

1、昭和四八年分

イ 利子所得

大蔵事務官安河内孚彦作成の脱税額計算書説明資料付表によると、検察官主張の利子所得中に前記(二)、(四)、(六)及び(七)で被告人天石弘の資産に属さないと認定した普通預金及び定期預金の利息並びに貸付信託及び金銭信託の収益金が含まれていることは明らかで、これらの税引後の合計額は六三万四一一九円であることが認められるから、利子所得につき右金額を差し引くべきである。

ロ 給与所得

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月一六日付査察官調査書(記録第一七-二四号)によると、検察官主張の給与所得中には、被告人会社からの貴志多美子及び天石政子に対する各報酬、賞与を被告人天石弘に対する給与として含めていることが明らかであるが、前記(二)の普通預金の項で述べたとおり、これらは貴志多美子及び天石政子に支給された給料乃至は報酬と認めるべきであるから、右査察官調査書によって認められるこれらの税及び社会保険料控除後の合計額三四九万五二六〇円を検察官主張の給与所得額から差し引くべきである。

一方、前記(二)の普通預金の項で述べたとおり、被告人天石弘は、昭和四八年及び昭和四九年当時、被告人会社から顧問料として月額三〇万円を受け取っていたことが明らかで、検察官は、これを被告人天石弘の原稿料として事業所得にしているが、右顧問料としての金銭の支給が毎月定額であったことや、前記第一で述べた被告人天石弘の被告人会社における地位等に鑑みると、被告人会社から被告人天石弘に対する右月額三〇万円の支給は、被告人天石弘の給与と考えるのが相当であるから、その年額三六〇万円を給与所得に加算すべきである。

ハ 株式等収益金

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付査察官調査書(記録第一七-一八号)によると、検察官主張の株式等収益金中には、前記(八)の有価証券の項で被告人天石弘の資産に属さないと認定した有価証券の収益金合計九万〇〇六二円が含まれていることが明らかであるから、これを検察官主張の株式等収益金から差し引くべきである。

ニ 割引債償還益

前記の大蔵事務官安河内孚彦作成の脱税額計算書説明資料付表によると、検察官主張の割引債償還益中には、前記(五)の割引債の項で被告人天石弘の資産に属さないと認定した割引債((五)の3の昭和四七年末分)の償還益二万四八四五円が含まれていることが認められるので、これを検察官主張額から差し引くべきである。

その他の事業主借の各項目については、これまでの各認定及び本件各証拠に照らして、検察官主張額のとおりと認められる。

以上により昭和四八年分の事業主借の額を算定し直すと二三八九万六一七四円となる。

2、昭和四九年分

イ 未収利息

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月二五日付査察官調査書(記録一七-二八号)によると、検察官主張の未収利息は、前記(四)の定期預金の項で被告人天石弘の資産に属さないと認定した定期預金に関するものであることが明らかであるから、その金額二万三九七六円を事業主借から除外すべきである。

ロ 利子所得

前記の昭和四八年分と同様にして検察官主張の利子所得中には既に被告人天石弘の資産に属さないと認定した普通預金の利息並びに貸付信託及び金銭信託の収益金が含まれていることは明らかであり、大蔵事務官安河内孚彦作成の脱税額計算説明書資料付表によって認められるそれらの税引後の合計額七〇万〇五一〇円を検察官主張の利子所得額から差し引くべきである。

ハ 給与所得

前記の昭和四八年分と同様にして検察官主張の給与所得中に被告人会社からの貴志多美子及び天石政子に対する報酬、賞与が含まれていることが明らかで、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月一六日付査察官調査書(記録第一七-二四号)によって認められるそれらの税及び社会保険控除後の合計額三〇七万八五二〇円を検察官主張の給与所得額から差し引くべきである。

また、前記の昭和四八年分と同様にして被告人天石弘が被告人会社から顧問料として受け取った三六〇万円も右給与所得に加算すべきである。

ニ 株式等収益金

前記の昭和四八年分と同様にして検察官主張の株式等収益金中に既に被告人天石弘の資産に属さないと認定した有価証券の収益金が含まれていることが明らかで、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付査察官調査書(記録第一七-一八号)によって認められるこれらの収益金の合計六万八四五〇円を検察官主張の株式等収益金から差し引くべきである。

ホ 割引債償還益

前記の昭和四八年分と同様にして、検察官主張の割引債償還益中に被告人天石弘の資産に属さないと認定した前記(五)の3の昭和四八年末分の割引債の償還益二万六九七〇円が含まれていることが明らかであるので、これを検察官主張の割引債償還益の金額から差し引くべきである。

その他の事業主借の各項目については、これまでの各認定及び本件各証拠に照らして、検察官主張額のとおりと認められる。

以上により昭和四九年分の事業主借の額を算定し直する一八八四万〇〇〇八円となる。

(一四)、未収利息

検察官は、未収利息として、

昭和四七年末当時、二万一八一六円

昭和四九年末当時、二万三九七六円

を計上しているところ、これに関して弁護人らの主張はないが、大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月二五日付査察官調査書(記録第一七-二八号)によると、右各未収利息は、いずれも前記(四)の定期預金の項で被告人天石弘の資産に属さないと認定した定期預金の未収利息であることが認められるので、右各未収利息を被告人天石弘の資産に計上しないことにする。

(一五)、未払税金

この点について弁護人らの主張はないが、前記(一一)の事業主貸の項で述べたとおり、既に認定した定期預金の帰属との関係で未払税金額に変動が生じるので、これについても検討を加える。

1、昭和四七年末分

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月二五日付査察官調査書二通(記録第一七-二七号及び第一七-二八号)によると、検察官主張の未払税金の算定中に既に被告人天石弘の資産に属さないと認定した前記(四)、1の昭和四七年末分ロの住友銀行和歌山支店、安東政子名義の定期預金の未収利息に対する未払税金四三六三円が含まれていることが認められる。そうすると、昭和四七年末の未払税金額は、検察官主張額の二三万九五三九円から右の四三六三円を差し引いた二三万五一七六円となる。

2、昭和四八年末分

既に(一一)の事業主貸の項で述べたとおりで、昭和四八年末の未払税金額は、検察官主張額の四四万四四二一円に一五四八円を加算した四四万五九六九円となる。

3、昭和四九年末分

既に(一一)の事業主貸の項で述べたとおりで、昭和四九年末の未払税金額は、検察官主張額の七三万六五八七円から二万〇六一一円を差し引いた七一万五九七六円となる。

以上の認定に従い、前掲の関係各証拠によって被告人天石弘の各年分の事業所得を計算すれば、昭和四八年分については別表四の二、昭和四九年分については別表五の二のとおりになる。

二、利子所得

この点については、弁護人らの主張はないが、既に認定した定期預金、貸付信託及び金銭信託の帰属との関係で検討する必要がある。

1、昭和四八年分

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月二五日付査察官調査書二通(記録第一七-二七号及び第一七-二八号)によると、検察官主張の利子所得の算定中に、既に被告人天石弘の資産に属さないと認定した住友銀行和歌山支店、昭和四六年六月七日設定、安東政子名義の定期預金の昭和四八年中の利息六三三五円(右定期預金の解約時の利息二万八一五一円からそのうちの昭和四七年末までの未収利息二万一八一六円を差し引いたもの)が含まれていることが認められる。そうすると、昭和四八年中の利子所得は、検察官主張額の八三万二一一二円から右の六三三五円を差し引いた八二万五七七七円となる。

2、昭和四九年分

前記の昭和五〇年一二月二五日付査察官調査書(記録第一七-二七号)によると、検察官主張の利子所得の算定中に、既に被告人天石弘の資産に属さないと認定した第一勧業銀行和歌山支店、昭和四七年七月二〇日設定、天石多美子名義の定期預金の利息五万八四六九円が含まれていることが認められる。そうすると、昭和四九年中の利子所得は、検察官主張額の一一七万八三一八円から右の五万八四六九円を差し引いた一一一万九八四九円となる。

三、不動産所得(昭和四八年分について)

弁護人らは、検察官が昭和四八年分の公表修繕費の一部五九万九〇〇〇円について被告人天石弘の事業用資産である書道教室の新築費の支払領収書を利用することにより架空計上したものであると主張して否認しているのに対し、右領収書は昭和四八年中に行った貸家の修繕費についての領収書にほかならないから検察官の右否認は失当であると主張する。

しかし、大津幸太郎の検察事務官及び検察官(二通)に対する各供述調書によると、右検察官主張の事実が認められるので、弁護人らの右主張は採用できない。

四、給与所得

(一)、給料

給料収入については、前記一の(一三)の事業主借の項で述べたとおりで、昭和四八年及び昭和四九年分共、検察官主張額から貴志多美子及び天石政子の被告人会社からの報酬、賞与分(合計で昭和四八年分は四〇〇万一〇〇〇円、昭和四九年分は三五一万二〇〇〇円)を差し引き、被告人天石弘が被告人会社から顧問料として受け取った金額(各年共三六〇万円)を加算すべきである。

そうすると、各年分の給料収入は、結局公表の給与所得額と同じになり、

昭和四八年分が六三二万四三一六円(給与所得控除額七一万円を控除済)

昭和四九年分が六四六万三七〇一円(給与所得の算出根基=給与収入の九三%から九六万円を差し引いて算出したもの)

となる。

(二)、認定報酬

検察官は、犯則所得としていないものの、被告人天石弘の被告人会社からの借入金に対する利息相当金額(利率年一割で日割計算)を被告人天石弘の被告人会社からの認定報酬として被告人天石弘の給与所得に加えているので、前記一の(一二)の借入金の認定との関連でこの点についても検討を加える。

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月六日付査察官調査書二通(記録第二五-一七号及び第一七-一九号)に前記一の(一二)の借入金についての認定事実を併せて検討すると、被告人天石弘の被告人会社からの借入金は、

昭和四八年末当時で

(イ) 昭和四七年末からの繰越分八三二万四四〇〇円

(ロ) 昭和四八年三月二〇日借入の被告人天石弘の納税資金三二万円

昭和四九年末分当時で

(イ) 昭和四八年末からの繰越分八六四万四四〇〇円

(ロ) 昭和四九年三月一五日借入の被告人天石弘の納税資金三〇万円

(ハ) 昭和四九年九月一八日借入の被告人天石弘の山一証券和歌山支店に対する預け金二五〇万円

だけになることが認められ、これらについて検察官主張のような計算で認定報酬を認めるとしても、それは、

昭和四八年分で八五万八三九〇円

昭和四九年分で九六万一〇九六円

にとどまることになる。

五、結論

以上の争点及びこれに関連する各勘定科目についての認定に従い、前掲の関係各証拠によって被告人天石弘の各年分の総所得額を計算すれば、昭和四八年分については別表四の一、昭和四九年分については別表五の一のとおりとなる。

第三、法人税法違反関係

一、被告人会社の収益についての納税義務者

弁護人らは、被告人会社は、本件起訴事業年度当時、実質的には前記炭山南木が主宰していた書道研究団体神融会の一部門であって、税金対策上株式会社組織になっていたものに過ぎず、従って、その当時、被告人会社の収益はすべて右炭山南木に帰属したのであるから、実質課税の原則あるいは法人格否認の法理からすれば、本件起訴事業年度の被告人会社の収益についての納税義務者は、右炭山南木にほかならないと主張する。

ところで、前記第一で認定したとおり、被告人会社は、その設立の経緯等からして、少くとも本件起訴事業年度当時には実質上右神融会の一部門と言うべき組織体であったと認められるが、とはいえ、前掲の関係各証拠によると、被告人会社は、法人たる株式会社で、その当時にでも経営面では右神融会とは別個の独立した経営体としてその事業を営んでいたのであり、被告人会社の事業の収益のすべてがそのまま右炭山南木乃至は神融会に流れていなかったことも認められるから、被告人会社の収益についての納税義務者は、あくまで被告人会社自体であったというべきであり、弁護人らの右主張は採用できない。

二、前記第二の一の被告人天石弘の事業所得に関する資産の帰属の認定による被告人会社の所得の変動

前記のとおり、第二の一の被告人天石弘の事業所得に関する争点の判断の中で、検察官が被告人天石弘の資産に属すると主張する定期預金、割引債、貸付信託、金銭信託及び有価証券の一部と尾崎木堂の書について、それらが被告人天石弘の資産ではなく、被告人会社の資産に属すると認定し、また、検察官主張の被告人天石弘の被告人会社からの借入金の一部を認めなかったが、この認定に従えば、財産増減法により算定された被告人会社の各事業年度の所得に増減が生ずることになる。

ところで、右の資産の帰属の認定及び借入金の否認は、本件法人税法違反被告事件と所得税法違反被告事件の併合審理の中で陳述された弁護人らの主張を認容したものであるところ、本件の弁護人らは、いずれも被告人天石弘の弁護人であると共に被告人会社の弁護人でもあって、被告人天石弘の事業所得の算出についての右主張が被告人会社の所得の算定についても影響を及ぼすことを承知していたはずであり、一方、被告人天石弘は、自己の所得税逋脱についてのみならず被告人会社の法人税逋脱についても訴追されており、また、本件審理の経過に照らせば、被告人会社の代表者森川登も弁護人らの右主張に同調してきたことが明らかであるから、それによって算出される被告人会社の各事業年度の所得額が公訴事実記載の所得額を超えることにならない限り、前記資産の帰属の認定及び借入金の一部否認を被告人会社の所得の算定に波及させることにつき訴因の変更を要しないものと考える。

そこで、右の資産の帰属の認定及び借入金の一部否認に従って、被告人会社の各事業年度の関係勘定科目につき検討を加えてみることにする。

(一) 貸付金

大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月五日付(記録第二五-一六号)及び同月六日付(記録第二五-一七号)各査察官調査書によると、検察官主張の各事業年度の貸付金は、すべて被告人天石弘の前記事業所得の算定に関する検察官主張の借入金にそのまま対応するものであることが認められるので、前記第二の一の(一二)の右借入金についての認定に従って各年度の貸付金額を修正すれば、それぞれ検察官主張金額から、

昭和四七年末分については三〇六三万七一二二円、

昭和四八年末分については三三七三万七一二二円、

昭和四九年末分については三四二三万七一二二円

を減額しなければならない。

(二)、定期預金

前記第二の一の(四)で認定したとおり、右第二の一の(四)の1に記載の各定期預金は、いずれも検察官が前記セイフティケース間の証券類の保管替えにより被告人会社から被告人天石弘に譲渡されたと主張しているものであるが、そのように譲渡されたとは認められず、依然被告人会社の資産に属していたものと認められるから、これに従って被告人会社の各事業年度の定期預金額を修正すれば、それぞれ検察官主張額に、

昭和四七年分については九八万八二五四円、

昭和四八年分については一〇六万四四〇七円、

昭和四九年分については一〇六万四四〇七円

を加算すべきである。

(三)、貸付信託(被告人会社の貸付信託の勘定科目中には金銭信託も含まれているので、ここでは金銭信託をも含める。)

前記第二の一の(六)で認定したとおり、右第二の一の(六)の1及び3のイに記載の各貸付信託は、いずれも検察官が前記セイフティケース間の証券類の保管替えにより被告人会社から被告人天石弘に譲渡されたと主張しているものであるが、そのように譲渡されたとは認められず、依然被告人会社の資産に属していたものと認められるから、これに従い、前記第二の一の(七)で被告人会社の資産に属すると認定した金銭信託(大蔵事務官作成の昭和五〇年一二月五日付(記録第二五-一六号)によると、これらの金銭信託も前記セイフティケース間の保管替え資産に含まれていることが認められる。)をも合せて、被告人会社の各事業年度の貸付信託(金銭信託を含む。)の金額を修正すれば、それぞれ検察官主張額に、

昭和四七年分については一〇五二万一八七一円、

昭和四八年分については一一〇六万九二六三円、

昭和四九年分については一一七九万三九〇八円

を加算すべきである。

(四) 割引債

前記第二の一の(五)で認定したとおり、右第二の一の(五)の3の昭和四七年末分、昭和四八年末分及び昭和四九年末分イに記載の各割引債は、いずれも被告人会社の資産と認められるから、これに従って被告人会社の各事業年度の割引債の金額を修正すれば、それぞれ検察官主張額に、

昭和四七年分については四三万五一五五円、

昭和四八年分については四六万三〇三〇円、

昭和四九年分については四九万四一二〇円

を加算すべきである。

(五)、有価証券(検察官主張の被告人会社の勘定科目には投資信託の科目があるも、本項では国債も問題になるので、便宜上、被告人天石弘の事業所得の場合と同様に有価証券の勘定科目を設ける。)

前記第二の一の(八)で認定したとおり、右第二の一の(八)の1のロ及びト、2のハ並びに3のイ及びロの各有価証券は、いずれも被告人天石弘の資産ではなく、被告人会社の資産であったと認められるから、これに従って被告人会社の所得の算定についても有価証券の勘定科目を設けてその各事業年度末における金額を認定すれば、次のとおりである。

昭和四七年末、五九九万三五五九円

昭和四八年末、四二五万六五五九円

昭和四九年末、三六二万六五五九円

(六)、什器備品(尾崎木堂の書)

前記第二の一の(九)で認定したとおり、検察官が被告人天石弘の資産であると主張する尾崎木堂の書(価格二五〇万円)は、被告人会社の資産に属するものと認められるから、これに従って被告人会社の什器備品の勘定科目の金額を修正すると、昭和四八年及び昭和四九年の各事業年度分につきそれぞれ二五〇万円を加算すべきである。

以上のとおりで、右(一)乃至(六)記載の各勘定科目の金額の修正を各事業年度別に集計してみると、右修正を施して算定した被告人会社の各事業年度の所得額は、いずれも公訴事実記載の所得額より減少することが明らかであるので、右各勘定科目について前記のとおり修正を施すことにして、前掲の関係各証拠により被告人会社の各事業年度の所得額を計算すれば、昭和四八年分については別表一、昭和四九年分については別表二のとおりとなる。

(法令の適用)

被告人天石弘の判示第一の一及び二の各所為は、いずれも昭和五六年法律第五四号附則五条により同法律による改正前の法人税法一五九条に該当して、同被告人及び被告人会社の関係で法人税法一六四条一項に該当し、被告人天石弘の判示第二の一及び二の各所為は、いずれも昭和五六年法律第五四号附則五条により改正前の所得税法二三八条に該当するところ、被告人天石弘の判示第一の各罪についてはいずれも所定刑中懲役刑のみを、判示第二の各罪についてはいずれも所定刑中懲役及び罰金刑の併科を各選択し、被告人会社の判示第一の各罪、被告人天石弘の判示第一及び第二の各罪は、それぞれ刑法四五条前段の併合罪であるから、被告人会社に対しては同法四八条二項により前記法人税法一五九条一項の判示第一の各罪所定の罰金を合算し、その金額の範囲内で被告人会社を罰金一〇〇〇万円に処し、被告人天石弘に対しては、懲役刑につき刑法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第二の二の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑につき同法四八条二項により前記所得税法二三八条一項の判示第二の各罪所定の罰金を合算して、その刑期及び金額の範囲内で被告人天石弘を懲役六月及び罰金六〇〇万円に処し、刑法一八条により同被告人が右罰金を完納することができないときは金一〇万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することにし、右懲役刑につき同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から一年間その執行を猶予することとする。なお、訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文により被告人会社及び被告人天石弘にその二分の一ずつを負担させる。

(量刑の事情)

一、被告人会社について

被告人会社の判示各事業年度の法人税ほ脱額は、合計で四四四七万余円にのぼり、特にそのほ脱率が八八パーセントを超えていること、そして、除外した所得の大部分が社内に留保されていたことに徴すると、本件法人税のほ脱については被告人会社自体も厳しく責任を問われるべきである。

しかし、被告人会社は、起訴前に、本件公訴事実にそった法人税の修正申告をしてそのとおり法人税を納付した上、営業を停止しており、いずれ本件裁判の確定をまって解散するというのであって、これらのことは被告人会社に有利に斟酌すべきである。

そこで、特に以上の各事情を考慮してその他諸般の情状に照らすと、本件法人税ほ脱につき被告人会社に対しては主文のとおりの罰金を科するのが相当と認められる。

二、被告人天石弘について

本件法人税のほ脱については、そのほ脱額及びほ脱率が前記のとおりかなり高く、被告人天石弘は被告人会社の実質上の経営者としてその経理全般を統括する立場にあったこと、また、本件所得税のほ脱についても、そのほ脱額は二年分の合計で二七三四万余円にのぼり、特にそのほ脱率が九二パーセントを超える高率であること、そして、被告人天石弘は当時公務員たる国立大学教授の地位にあったことにも徴すると、本件法人税及び所得税ほ脱のいずれについても、被告人天石弘の刑責は決して軽くはなく、同被告人に科すべき刑罰としては、各法人税ほ脱につき懲役刑、各所得税ほ脱につき懲役及び罰金刑を選択すべきである。

しかしながら、先ず、法人税のほ脱に関してみると、前示のとおり被告人会社は書道研究団体の神融会を母体として設立されたものであるところ、本件法人税ほ脱の主な動機は、右神融会の主宰者炭山南木の提唱による同会の活動のための書道会館建設の資金を備蓄することにあったし、右炭山南木が日本芸術院会員選挙の運動費に多額の被告人会社の資金を使用してきたことも、本件法人税ほ脱の発端の一事情であったと見受けられるのであって、これらの点から右炭山南木にもその責任があると言うべきであり、他方、被告人天石弘としては、殆んど一人で被告人会社の経営を切り廻してきたことや、自己の財産の管理まで被告人会社の経理担当係員に任せていたこと等から、被告人会社の資産の一部を自己の用途に流用したり、自己の資産に組み入れたりしたこともあったが、被告人会社の資産の隠匿状況の全貌に照らせば、被告人天石弘は、必ずしももとから自己の利得をも図って被告人会社の資産を隠匿してきたものとは言い難い。次に、所得税のほ脱についてみると、被告人天石弘は、自己の所得の隠蔽により相当の資産を蓄積したものの、これによって同被告人やその家族が殊更にぜい沢な生活をしてきたとは認められず、また、同被告人は、起訴前に本件公訴事実にそった所得税の修正申告をして、そのとおり所得税を納付している。以上に加えて、被告人天石弘は本件起訴前に自から本件各脱税の責任を感じて前記の国立大学教授の職を辞したこと、また、本件の審理が起訴後約九年八か月にもわたり、被告人天石弘は長期間刑事被告人の座に置かれてきたが、この審理の長期化については被告人ら側ばかりにその責を帰せられないこと、そして、被告人天石弘は、本件の脱税を反省し、書道の発展のために財団法人和歌山県書道資料館を設立して私財を投じたことなどの同被告人に有利な事情も認められる。

そこで、特に以上の各事情を考慮してその他諸般の情状に照らせば、被告人天石弘に対しては、主文のとおりに懲役及び罰金を科した上、懲役刑につきその執行を猶予するのが相当と認められる。

よって主文のとおり判決する。

昭和六一年四月三〇日

(裁判長裁判官 米田俊昭 裁判官塩田武夫及び裁判官近下秀明は、いずれも転補のため署名、押印できない。裁判長裁判官 米田俊昭)

別表(一)

修正貸借対照表(法人税法違反関係)

昭和48年12月31日現在

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

別表(二)

修正貸借対照表(法人税法違反関係)

昭和49年12月31日現在

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

別表(三の一)

脱税額計算書

(法人税法違反関係)

〈省略〉

別表(三の二)

脱税額計算書

(法人税法違反関係)

〈省略〉

別表(四の一)

修正損益計算書(所得税法違反関係)

自 昭和48年1月1日

至 昭和48年12月31日

〈省略〉

別表(四の二)

修正貸借対照表(所得税法違反関係)

昭和48年12月31日現在

〈省略〉

別表(五の一)

修正損益計算書(所得税法違反関係)

自 昭和49年1月1日

至 昭和49年12月31日

〈省略〉

別表(五の二)

修正貸借対照表(所得税法違反関係)

昭和49年12月31日現在

〈省略〉

〈省略〉

別表(六)

脱税額計算書

(所得税法違反関係)

〈省略〉

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